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「猜疑と義憤 / 胃にたまる怒りの胆汁 / 憎悪 / 瞳の奥の / この悲痛」。1986年に英国リーズ出身のバンド、ミーコンズ(MEKONS) のトム・グリーンハフが<HELLO CRUEL WORLD>(やぁ、残酷な世の中) の出だしでそう歌っていた。グリーンハフのヴォーカルは二日酔いのように調子っ外れなまずいもので、初めて聴いた者にも「下手だなあ」と分かるものだった。けれども聴き進んでいくと、グリーンハフの歌唱はまったくの本気であり、ミーコンズのサウンドは冗談なんかではなかった ―― 「世界を見つめると / それはかすかに / 震えている」。

「この震える手を無視すること / これを血だとは考えないこと / そんなこと / とっくに分かっている」。その歌の舞台である架空の戦場から発せられたそのまずい声は、単なるまずさのみを伝えたわけではなかった。それは毎秒ごとにふらつき、極限に黙殺されながらも、麻痺の背後の一束の真剣を、一握の金の灰を、今ここで直ちに探し出され、掌握されねばならない世界の危うい真実を、酔っぱらいながら必死に叫んでいたのだ ――「君の歌声が / 聞こえたよ / その声は / 勇敢だった」。

その黙殺の勇敢からちょうど15年後。<HELLO CRUEL WORLD>のその「まずい」1節が、まさかキャピトル・ヒル(米国会議事堂) 正面に集まった現実のアメリカ上下両院議員有志たちが敢然と、誇り高く、威風堂々と即興で歌った2001年9月11日の<GOD BLESS AMERICA>を指すことになろうとは思いもしなかった。その日アメリカ合衆国の至る所に、世界中の家庭の茶の間に、突然本物の、正真正銘のCRUEL WORLDが予告なしに突如生じたからである。

それから10数時間の間、地上の出来事はたったの1つに思えた。まるで地球上にはアメリカという国家しかなく、地上にはテロリストとアメリカ人しか存在していないかのようであり、ただ1つのニュースを伝えるメディアは激しく痙攣し、世界は静止した。すべてのエンタテインメントが突然沈黙し、音楽も例外ではなかった。どんなに優れたポップもロックも、あまりに醜悪すぎるその静止の前に成すすべを持たなかった。そのちょうど10年前、湾岸戦争の時にはそうではなかったのにだ。<HELLO CRUEL WORLD>の危うさと真剣さは、2001年9月11日には意味を成さなかった。<GIMME SHELTER>も<LIKE A ROLLING STONE>も、<A DAY IN THE LIFE>も。

知る限りにおいて、そんな事態はそれまでにはおそらく1度もなかった。あの事実、あのテレビ画面の暗黒記号に立ち向かう音楽は、たとえあったにせよ、その暗黒を乗り越えうるものは、すぐには見つからなかった。乗り越えるものはないのだと認めること、観念することが、許された唯一の、避けがたい結論であるかのように感じられたのだ。世界各国の数千の人たちの現実の生命とともに、あの日、ロック音楽の世界が持つ想像上の肉体もその身を削がれた。

「これでマジ、世の中終わっちゃったりして」。テレビを見た友だちが電話で言ってきた。その話し声に軽薄な皮肉はまったくなかった。太平洋を隔てた未曽有の大惨事を画面越しに、彼は突然、生きようとしていた。自分にはこれで終わりだとは思えなかったけれども、その代わりに<HELLO CRUEL WORLD>の別の1節を、頭から消すことが出来なかった ―― 「どうしても / 見つけられない / 事態を変えることが / 出来ないんだよ」。

人は何よりも楽しみのため、時には悲しみのために音楽を聴く。けれども、悲しみであっても慰めであっても、そこには結局は一定の歓喜や飛翔への希求、楽しさと密度への渇望がある。自分の感性に単に応えるだけでなく、時にそれを遥か置き去りにしていく望外の響きの瞬間をどこかで求めながら。それは1人の人間が一生のうちに抱え切れない、想像を絶する膨大な多様性の鉱脈である。だから僕らは飽きもせずこの音楽ジャンルが、ポップ・ミュージックという表現形式が好きなのだ。感情や見解の共有と伝達、気晴らし、景気づけ、安っぽい元気づけ、正真正銘の勇気づけ、自分の実人生のバックアップ、自分の見えざる人生のバックアップ、いいなという気持ち、何だこれという気持ち、目に映る世界の肉付け、見落した世界の肉付け、修正、改訂、削ぎ落とし…。

タイミングが合えば、こちらが望んでもいなかった思わぬ宝物を手にすることもあれば、時間の無駄や期待はずれに終わることもある。楽しみが欲しかったのに、違うものを差し出されて困惑したり、逆にその違うものに出会って自分が大きくなったように、誇らしいようにすら思えたり。それら全部をひっくるめ、それら全てを引き受けて、僕らはこの音楽様式、この文化的表現形式を過去半世紀以上の間愛してきたのだ。その形式をもう文化とは、宝物とは呼べなくなる。その半世紀がゼロに帰してしまう。ミーコンズがあの時歌ったように、2度とそれを「見つけられなく」なる…。

それから2週間余りが過ぎていき、各種エンタテインメントは、ゆっくりと元々あった場所に戻っていった。人々にもたらす天啓よりも、人々から略奪する黙示の方を選びとったポップの白い1日は、なぜ第二次世界大戦中にロックが生まれなかったのかを、静かに不気味に、最も強力な形で説明しているように思えた。すべての歴史には壮大なる偶然が作用しているとはいえ、その背後にはそれなりの理由が、逆らい難い必然が横たわっているものだ。その必然を事前に察知し、十分に予見していたとしても、現に生じる惨事の叫びを、人は当然の事として克服出来たりはしない。有事のロック ―― その語句はまだ、意味すべきものを意味する以前に、自らを苦々しく詰問している。やぁ、残酷な世の中。

2011年9月。時はあれから大きく流れた。そのCRUEL WORLDに、今も探し出すべき真実は果たしてあるのだろうか。ボブ・ディランがかつて敢えて汎人間的に、誰の中にもあるエヴリマンとして未来永劫に顔を向けて歌ったように、答えが今もまだ風に吹かれているのなら、それはいつもの心地良い初秋のそよ風でなく、あの時初めて、一度だけ吹いた、重くて冷たい9月の北風の中に、きっとまだあるのに違いない。僕らは結局、あの冷凍の季節からさして何も変わらず、変えられず、ずっと足踏みしているのだ。2001年も2011年も、この同じ場所で。

中野利樹 (TOSH NAKANO)🍀

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