それから10数時間の間、地上の出来事はたったの1つに思えた。まるで地球上にはアメリカという国家しかなく、地上にはテロリストとアメリカ人しか存在していないかのようであり、ただ1つのニュースを伝えるメディアは激しく痙攣し、世界は静止した。すべてのエンタテインメントが突然沈黙し、音楽も例外ではなかった。どんなに優れたポップもロックも、あまりに醜悪すぎるその静止の前に成すすべを持たなかった。そのちょうど10年前、湾岸戦争の時にはそうではなかったのにだ。<Hello Cruel World>の危うさと真剣さは、2001年9月11日には意味を成さなかった。ストーンズの<Gimmie Shelter>もディランの<Like a Rolling Stone>も、ビートルズの<A Day in the Life>も。
2023年3月。時はあれから大きく流れた。そのCRUEL WORLDに、今も探し出すべき真実は果たしてあるのだろうか。「酔っ払いたちの哀歌」は今もどこかに聴こえるのだろうか。ボブ・ディランがかつて敢えて汎人間的に、『誰の中にもあるエヴリマン』として、未来永劫の方向に悠然と顔を傾けて『答えは / 風に吹かれている』と歌ったように、1987年のマイケル・ジャクソンが<Man in the Mirror>でぴったり30年前のエルヴィス・プレスリー<Peace in the Valley>を継承しながら「夏の間に捨てられたもの / 壊れてしまった瓶のふた / ひとりの人間の魂が / 風に吹かれて / 追いつ追われつ / 舞っている」と歌ったように、答えが今も「まだその風に吹かれている」のなら、それはいつもの心地良い初秋のそよ風でなく、あの時初めて、一度だけ吹いた、重くて冷たい9月の北風の中に今もきっとまだあるのに違いない。僕らは結局、あの冷凍の季節からさして何も変わらず、変えられず、ずっと午前3時に足踏みしているのだ。2001年も2011年も、2023年も、この同じ場所で。