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u2
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墓碑銘、エピタフ。墓に書かれたその一文、数行は、その人物に最も所縁の深い、最も重要かつ、その人を最も代表すべき事柄を後世へ遺すための文句が刻まれる。ポップ音楽の領域では、常にアーティストの特定の歌詞の全体か一節を指すことの多いエピタフ。しかし、それが当のアーティストの活動歴の全体から、ひたすら遠ざかっていくように感じられる音楽の言葉だとしたらどうだろうか。

U2の<WITH OR WITHOUT YOU>は、アルバム『THE JOSHUA TREE』からのリード・シングルとして1987年のポップ世界を席巻し、ダブリン出身の彼らの浮世的名声、神話的名声の両方を確固たるものにした、彼らの全キャリアを俯瞰するのみならず同時に80年代後半以降の世の中における、どんな主流ポップの証明書にも署名されてきた一大歴史曲である。「君がいても / いなくても / ぼくは / 生きてはいけない」。その苦痛なほどに甘美で、ある意味で「自禁的」とでも言うべき循環曲は、始まる前からずっとそこに存在していたかのような独特のフェイド・インを伴って聴き手の眼前に忍び込み、こちらの存在を占有してくる。人々の日常を美的に不意にブロックするもの、聴き手がどこで何をしていても、それを突然遮断するものとしてである。

<WITH OR WITHOUT YOU>は、2つの小さな装飾的和音で浮かび上がる。曲を通して消えることなく全体を貫き、運命の蔦のように終始その全体に絡みつく、輪廻する銀のサークル・トーン、そこに間もなく舞い降り、命綱のようにその輪廻に手を差し伸べる、無重力な金糸のロング・トーン。2つのキーボード音は回り始めたばかりの音楽の内側でひたすらに美しく、細く、気高く、脆く、遠い。その2音だけでも、わざわざ聴く価値があると言えるほどだ。アダム・クレイトンの物言わぬサイレント・ベースがそっとその輪廻と金糸に寄り添い、ラリー・マレン・ジュニアの秘密のドラムスがその裏で三者を等しくすくい上げ、抱き留める。歌い手がまだ一言も発さぬうちに既にそこに聴こえる荘厳は、聴いている人間の内にあるおざなりや不誠実、いい加減さ、妥協に、暗黙の内に立ち入らせるものだった。その微細な音の導入部は聴く者の耳をかっさらって窒息させ、有無を言わさずその耳の内側のソウルを浄化していき、そうしながらその魂を、聴く者に無断で勝手に再生させた。「きみの瞳に浮かぶ / 石のような冷たさ / その / がんじがらめに絡まる / 苦痛のつる」。

<WITH OR WITHOUT YOU>のサウンドには始まりが、終わりがなかった。「フウ―――ッ / フウ―ウゥウ――――…」。曲の中に1つの終わりが訪れ、その後でまた更に、その音楽は始まっていった。「歌詞は聴く人が自由に受け取ればいい。元々そんなに深い意味はないしね」。怒りと嘆きと苦悩のリード・ヴォーカルであり、いまや世界のオピニオン・リーダーの1人でもあるボノが、かつてそう言っていた。しかしこの発言は彼一流の二重発言、トリック発言であり、そもそもある意味において卑怯である。深い意味があるかどうかを探し出し、確かめ、吟味し、受け取り、最後に記憶するのは、ボノではなくて我々「聴く人」の方だからだ。

「そして君は / さらけ出す / 君は / すべてを / さらけ出す」。この音楽固有の地層が土台ごと鳴動するかのように、自在に時空を跨ぐギタリスト=ジ・エッジの唯一無二のトレモロが、一切をさらけ出す彼女の魂のベールを露わにし、そうする過程で、聴き手自身の魂の起伏をも鷲づかみする。ひとたびそのトレモロの網目に捕えられたら最後、そこから容易に逃れることは出来ない。逃れようと思わなくなるまでずっとである。1音ごとにわずかずつ高まる緊張と音圧、複合でも単一でもある地層の中でその1音とともにうめき、うごめく諸楽器の断層。その断層の境目が、直前のフレーズのこだまを聴き手の脳裏に呼び戻す。「何も / 勝利などしない / 何も / 失われたりなど / しない 」。

音楽はバンドと聴き手の現在と過去とを行き来し始め、その往来は間もなくどんどん深く、激しく、速くなる。終始一点を見つめ続けるボノの孤独でストイックな歌唱からはやがて歳月が、録音年月日が、剥がれて消え始める。その音楽の「実体」はどこにある。その往来はどこから現われ、こちらの何をどうするのか。自問する聴き手を後方へ置き去りにしつつ、行く宛てなきボノのヴォーカルは、抑制が炸裂を、絶叫が沈黙を生み出す特異点へと進み、その地点が己の魂の不安と世界の慰安の向こうとを結ぶ唯一の場所であることを追う。愛する者と一心同体となること、2人が別々に生きること ―― 両者がどちらも叶うことがないという怖れと畏れ。生の喜びとともに裏側で刻まれる袋小路な死、地上の幸福と表裏一体する煩悶、背き続ける二律。それが毎秒、間断なくこちらに聴こえ続ける。そこで聴き手は、今度はこう問い直す。この音楽はどこへ逃げるのか。これはどうやって終わるのか。そもそも「これ」は一体、何なのか。

それは、耳で聴く現代の受難劇だった。1小節先に進むことが1インチ心臓をまた抉ることである音楽が、世界のチャート1位シングルがあっただろうか。その切なる期待と大望に反し、何度耳を傾けても、聴き手は最後まで<WITH OR WITHOUT YOU>を存分に手中にすることが出来ない。それは追いつくということのない音楽である。人々は、この曲のこだまが連れて行くその「ただ1つの場所」へと何とかして辿り着こうと願い、実際に曲の中でそう求め、もがき、動く。聴き手のそのあてどなく彷徨うさま、流浪の全体。それこそが、この決して捕まえられない半永久音楽の正体、つまり「これ」である。

「それ」は聴く人々の姿勢をじっと深く、不可逆に正した。わずかに数分の間だけ、その内と外の姿勢の双方、夢とうつつの姿勢の両方を。その音楽の始まりは終わらない終わりを事前に知り、その終わりは、また再び始まらんとする始まりを自動に返した。1987年も、2017年にも。あたかも人間個人の預かり知らぬところで無情に輪廻する生と死、愛と放棄、抱擁と永遠のように、この曲のイントロ以前とアウトロ以後のようにである。その4分56秒は静かに、劇的に墓碑銘を拒んだ。一介のポップ・ソングに用意された墓標には大き過ぎ、単一の石には書き切れなかったのだ。そしてそれ以上に、<WITH OR WITHOUT YOU>の沈黙と炸裂の言語はあまりに複雑すぎて、わざわざ他の何かに書き残されようとはしなかった。たとえその空白の銘の前に、誰かがじっと長く、立ったままで待っていても、いなくても。

中野利樹 (TOSH NAKANO)🍀

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