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telstar
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2012年5月。待ち合わせまでの時間調整と好奇心を兼ねて、オープンしたばかりの渋谷駅前東口の新しい複合商業施設ヒカリエに寄り、ピカピカの外観をくぐり抜けて、ピカピカのショップやレストランが整然と集まる最新の建物の中を歩いた。109などに代表されるそれまでの「10代の街」から「より多様な大人たちの街」へ。トイレや通路の作りや質感、建物全体の配色や照明、空間配置などにその「大人」が感じられる40分間だった。足りないものはと言えば、BGMだっただろうか。何かは流れていたはずなのだが、はっきり思い出すことが出来ない。それもそのはず、ヒカリエに入っておそらく10分もしないうちに、そのBGMは自分のiPodに切り替えたからだった。シャッフルで再生された1曲目の古いインスト曲が、最新鋭の高性能集塵機のようにその夜のヒカリエの大人とピカピカの全てを集めて吸い寄せ、半世紀前の古くて新しい音の頑丈な筐体の中へと、ゆっくり飲み込んでいった。

1962年7月10日、アメリカは、全米と欧州間のTV信号中継を主目的とした世界初の通信衛星、テルスター1号を打ち上げた。ケネディ暗殺のおよそ1年と4か月前であり、ビートルズの2枚目のシングル<PLEASE PLEASE ME>が全英チャート1位になり、ポップ音楽の領域と社会全般の様々な領域とが人々の予想と心構えとを遥かに上回る形と規模で、二度と後戻り出来ない大きさと深度を伴って突然の拡張へと動き出す、わずか半年前のことである。それから5か月後の1962年12月22日に米ビルボード誌HOT100のシングルチャート1位になったのが、トルネードズ(TORNADOS) のその名もずばりの<TELSTAR>だった。ケネディ政権は、当時のソ連との間で激化する一方の宇宙軍拡競争に一歩でも先んじようと、早くからテルスターの打ち上げを全世界に予告宣伝していたため、TORNADOSのメンバー5人とプロデューサーのジョー・ミーク(JOE MEEK) には、便乗ポップを作るための時間があったのだ。彼らはテルスター特需のその便乗ポップで、全米NO.1に輝いた一番最初の英国グループとなったのだった。

ジョー・ミーク。正式な作曲や演奏は出来なかったにも拘らず、ミュージシャンに思いもよらぬような奇想天外かつカルト的な演奏上のアイデアやディレクション、アドヴァイスを与え、レーベルの子飼い的な教科書型ではないプロデュースやマネージメントに加え、販売経路の交渉や確保までを行った世界最初の全権ポップGM(ジェネラル・マネージャー) 的強者。50年代半ば、ポップの地図にエルヴィス・プレスリーが登場し、音楽の聴かれ方だけでなく、その作り方や売り方までをも変えた頃に、彼はちょうどアメリカにおけるプロデューサー、フィル・スペクターのように自由で独立的な存在としてイギリスの業界で徐々に頭角を表し、多数の粗悪品と多数の中小ヒット、注目に値する注目されざる小品や珍品を生み出し、61年にはついにジョン・レイトン(JOHN LEYTON) のナルシスティックな<JOHNNY REMEMBER ME>(『霧の中のジョニー』) で全英チャート1位をもぎ取っていた (この曲は当時の日本でもヒットし、1980年に大瀧詠一が太田裕美に提供したのちに自身でも発表した<さらばシベリア鉄道>[1981年] の元歌としても知られている)。

作曲や演奏が出来なかったという単純な理由からだけでなく、元々は高級でないスタジオ勤めの録音技師だった彼は、天才スペクターのような「ポップ・シンフォニー」は当初から目指さなかった。声と楽器とを効果的かつ物量的・人海戦術的に狭いスタジオ1ヶ所にぶち込んだスペクターの「音の壁」。常識ある本職の間では無知無謀と断罪された試みが、まさに音の弾丸となって楽曲に厚みとリアルさと圧力とを加える。製作上の自殺的行為が最後に、無知無謀でない活力を生む。こんな逆転的発想が当時出来たのはおそらくスペクターだけであり、彼に較べればジョー・ミークは、ずっと凡人だったと言える。けれどもその凡人は、その他大勢いたプロデューサー達のように、何でもいいから一発当てて大儲けするために、せっせと自分の音楽を世に出していたのでもなかった。多くの作品に共通して「地上を駆けめぐる白馬の足音」のようなリズムを持った、良くも悪くも個性的なサウンドを作ってきていた彼には彼なりの独自の野望があり、しかもその野望の中身は、決して凡人のものではなかった: ポップ音楽を地上のものから天上のものに、「空高く駆け、舞い上がるもの」にすることである。

<TELSTAR>はミークにとって、長年抱いてきたその音楽的野望を叶える千載一遇のチャンスだった。彼は借りていたロンドンの3階建て自宅アパートである晩、簡素でありながら奥深くもある、叶わない2つの事を同時に実現させるかのような天与のメロディを受け取る。作詞も作曲も演奏もしないミークは、その千載一遇のメロディを忘れないようにと、その時自分の身体の一番近くにあった「書き留める事の出来る物」=灰皿のタバコを置く端部分に殴り書きし、そのあと自宅内の粗末な手作りスタジオのテープレコーダーに急いで録音した。自分の声のハミングで。その時の実際の録音、粗末な天与の瞬間を元にした最初期のデモ音源である、我を忘れた彼の有頂天のハミングが2005年発売の『PORTRAIT OF A GENIUS』(ある天才の肖像) で聴ける。まるで地上を駆けめぐる白馬に乗った泥酔堕天使のように得意満面でやけくそで、何より楽しげなジョー・ミーク。天の助けを借りながら、彼は晴れて<TELSTAR>を「作曲」したのだ。

62年の8月17日に母国イギリスで発売された<TELSTAR>はその天与のハミングのみならず、ミークの過去の仕事すべてを不要不問にしてしまうほどのスピードで、あっという間に全英チャート1位に駆け上がる。10月4日。ミークとTORNADOSの5人にとって記念すべきその日は奇しくも、ソ連が打ち上げた世界初の人工衛星スプートニク1号の5周年記念日だった。この時点ですでに<TELSTAR>の運命は、同じ人工衛星同士であるスプートニクの胸板越しにテルスターとも握手していたのかもしれない。<TELSTAR>は日々報道されるテルスター過熱を確かに見込んで作られたものの、全英1位になったとはいえ、それより遥かに広大で手厳しい全米での1位をも、そのまま続けて掴むという所までは、とても気を回してはいなかったからだ。カルトな仕掛人ジョー・ミークも。その奇才を信頼し、終始忠実だった演奏者である若き5人のTORNADOSのメンバー達も。

そういった暦の上の、カレンダー的事実や偶然の一致が物語るあれこれはしかし、この3分17秒のインスト曲が醸し出すサウンドが伝えんとするあれこれを説明する補足や彩りにはなっても、その理解の本質には、必ずしもつながったとは言えなかった。<TELSTAR>は62年12月22日から3週間に渡ってビルボード第1位の座を維持し続け、全米や全英、それに世界のテルスター報道や人気を支え、当時としては超の付く大ヒットとなる500万枚を全世界で売り上げたが、その後はまるで何事もなかったかのようにぱったりと影をひそめ、聞かれなくなった。テルスターと<TELSTAR>の波は、自分自身が作りだした波の高低以上に、むしろ「本当の波」ともいうべき、そのあとの別種の波に呑まれて消えた。ビートルズ襲来である。

ヒカリエを歩くiPodで聴いたTORNADOSの<TELSTAR>は半世紀前の全米・全英NO.1であると同時に、1962年から半世紀経った現在の、2012年の今週のNO.1ソングのように聴こえた。そこではビートルズは全く関係がなく、ビートルズのどんな強力な楽曲も、頭の中で長続きしなかった。当時米西海岸で勃興しつつあった最新サウンドであり、主要な流行への入口でもあったポップの一大潮流サーフ・ミュージックに英国からの返答を交えながら、想像上の衛星通信の効果音の中から未知のサーフの波を巻き上げ、<TELSTAR>は出発する。我々の誰もが想像可能でありながら誰もが現実に乗った事のないユニークなサウンドの波へとその演奏は招き、ミークお得意の駆けめぐる白馬のリズムが聴く者をその波に乗せ、越えさせる。歌詞とヴォーカリストを持たない大胆かつチープな音楽は、それらを持たない不利を「だからこそ何でも言える」逆転的有利に、「どんなことも不可能でない」という音楽上の万能に変えながら、自分のチープな道を自由に、存分にひた走る。

その道はNYブルックリンの2人組兄弟のギター・インストデュオ、サント&ジョニー(SANTO & JOHNNY) の1959年の全米1位<SLEEPWALK>(夢遊) を急き立てて78回転させ、14世紀後半のイタリア作曲家アントニオ・ザカーラ・ダ・テラモッラの古典曲に取材したとされる同じイタリアのダニエル・サンタクルツ・アンサンブル(DANIEL SENTACRUZ ENSEMBLE) の、誰もが聞き覚えのある1974年のイージー・リスニング曲<SOLEADO>(『哀しみのソレアード』) の優雅な旋律の原型に出入りしながらその混声の優美と壮観を学び、<TELSTAR>自身の演奏の後ろに密かな、注意して聴かなければ分からない男声スキャットと、この種のポップ音楽には稀なハープの夢想を添えさせる。

そのスキャットとハープの秘密の二器が<TELSTAR>自身のチープにして流麗、それに勇敢でもあるメロディ ―― のちのシンセサイザーの先駆ともなった当時最新の電子楽器、英SELMAR社のクラヴィオリン(CLAVIOLINE) の放つクラリネットとヴァイオリンの混合音色のメロディ ―― と合流し、50年前の通信衛星の高みへと手を伸ばすのが聴こえる。スキャットとハープ、メロディ。三器が一体となった<TELSTAR>は、あたかも2012年の最新の人工知能付き音響衛星の如く、半世紀分の知見と含蓄、宇宙空間から覗き見た半世紀分の世界の見聞を両手に抱えながら、ピカピカで大人の渋谷ヒカリエのまばゆい施設の全体を見聞の動から守るように支え、アラームのように見聞の静にその知見と含蓄とを知らせ、大事な用件だけを急ぎ伝える伝令のように足早に、同時に堂々と雄弁に、何より楽しげに響き続けた。鳴り止もうとしなかったのだ。

<TELSTAR>が過ごした波乱万丈の後年 ―― ビートルズに立ち向かう第2、第3の<TELSTAR>はついに出来上がらず、グループ名TORNADOSの命名重複の災いがもたらした版権訴訟と6年間に渡る印税支払凍結の不遇、判決を待たずして解散し散り散りになったTORNADOS、その間<TELSTAR>の影を追い求めて得られず、3階建ての家賃回収に訪れたアパートの大家を、何よりも大切だったその自宅スタジオで射殺、そのまま猟銃を、自分の口に突っこんだジョー・ミーク。1967年2月3日自殺。享年37歳。大幅に減額された印税版権訴訟、その決着まで残り1年、史上最大のビートルズの波『サージェント・ペパー』発売まで、あと4か月だった。

50年。それはかくも短くて長く、早くてかつ遅い。半世紀ののち、ヒカリエはまだ「ヒカリエ」であり続けるだろうか。ピカピカの、大人の街の大人のスポットであり続けるだろうか。あの晴れた夜の30分、僕は結局<TELSTAR>しか聴かなかった。それ以外の音楽は、あの夜必要なかった。iPodを単曲リピートにし、3分17秒は合計11回立て続けに再生されたが、不思議なことになぜか全く飽きなかった。その夜の<TELSTAR>は、自身の波や遥か昔に自分が実際に飲み込まれたビートルズ襲来の波でなく、ヒカリエの中ですれ違う、その日限りの大勢の人の波に語りかけているように思えた。どんな素晴らしい建物や人工物も、やがては古びる。どんな素晴らしい自然や人間も、やがて朽ちるように。多分そこなのだ。おそらく、それがその夜の<TELSTAR>の問いであり、答えだった : 永続するものは何もない。決着されるものも。この瞬間に生きているという不確かな実感とぼんやりとした手応え以外に。その実感と手応えを助け、両者に不確か以上の瞬間を差し伸べる一篇の音楽と、そこに垣間見る普遍と不変以外に。

人々は今日も、それぞれの場所でそれぞれのiPodを、その音楽を、それぞれのあり方で楽しむ。時にはその音の中にアラームの助けを求め、見聞からの伝言を探して。50年前の夢の通信衛星テルスターは、驚くべき事に現在も大気圏外の周回軌道上に存在している。半世紀を隔てて、<TELSTAR>の白馬は地上から夢見るだけでなく、大空を舞い、その天を駆け上がるペガサスになった。ジョー・ミークの願いは叶ったのだ。チープで勇敢な、有頂天の音の翼とともに。

中野利樹 (TOSH NAKANO)♠

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