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ストロークス(STROKES) の『IS THIS IT』のサウンドは、何をおいても、まずはタバコの煙のもうもうと立ち込めるあのニュー・ヨーク・サウンド、CBGBサウンドであり、そのタバコの銘柄はいつも1つに決まっている: ヴェルヴェット・アンダーグラウンド (VELVET UNDERGROUND)。

このアルバムを聴いていると、そのヴェルヴェッツのレコードを初めて聴いた頃のことを思い出す。仲間うちでのビートルズ対ストーンズ ― どちらが本当に本物で、どちらが本物でないか (残念ながら「どちらが真面目で、どちらが不良なのか」ではなかった) の白熱の論議に『THE VELVET UNDERGROUND & NICO』が割って入ったのだ。最初に見つけたのは自分だった。レコードを何人かに回し、帰ってきた時には傷だらけになっているのかと思いきや、全然きれいなままだった。あとで分かったことだけれども、友達はみんな、最後まで聴かなかったのだ。中の1人が言っていた。「なんかヤケクソっぽいじゃん。ガチャガチャって感じ」。ビートルズはきちんとした音楽をきちんと演奏し、ストーンズはちょっと曲がった音楽をきちんとやっているのに対し、ヴェルヴェッツは、ただヤケクソのガチャガチャだったわけだ。

当時の自分は、周りのそのショボい反応が気に入らなかった。「ヤケクソじゃなくて新しいんだよ !」。やけくそだったのはヴェルヴェッツでなく自分のその反論の方だったというオチは今もって情けないが、<MODERN AGE>を突き抜ける、思い残すことなしのビートとダイレクトなギターが語っていることは、これが最初だ、これが最後だということだ。そのサウンドにはここ何年か聴くことのなかったロックの典型的、一期一会的ドラマがある。長い間待たされたために一体いつ以来だったのかが分からないくらいぶりの、ビートとリズムとリフの、ただそれだけの痛快なドラマがあるのだ。そのドラマが語る言語は、欧米で馴染み深い、いにしえの巡業ボードヴィル・ショウの陽気な呼び込みのように、こちらに語りかけてくる: さあさあ出入りは自由、受け取り方は好き好きだよ、お気に召さなきゃさっさと打っちゃっちゃいな、でももし気に入ったなら、あんたの足を踏み鳴らして教えて。あんたの手のひらを、こぶしに変えて教えてよ。

その脈打つビートは、おそらく他のどんな西洋音楽のビートよりもより素肌に、より生身に、より血管に近い。ストロークスの新しいニュー・ヨーク・サウンドは洋服を着ない。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドはちゃんと服は着ていた。誰もが断じて服だと判らない、見たこともなければ想像したこともない、突飛な洋服をだ。ストロークスはいつも素っ裸であり、たとえどんな洋服を身につけようが関係ない。かといって、彼らの音楽は、いわゆる原始的でもパンク的でもない。その大いなる5人組は、いわばきちんとした素っ裸である。

ジュリアン・カサブランカズのときにはガナり、ときにはきしむヴォーカルを耳にしたとき、最初に思い浮かべたのはもちろんヴェルヴェッツのルー・リード(LOU REED) だけれども (実際あまりに似すぎていてウンザリする瞬間もある) 、聴き終わりに頭に残っていたのは、ドアーズ(DOORS) のジム・モリソン(JIM MORRISON) だった。モリソンが『THE DOORS』の中で歌ったクルト・ワイル(KURT WEILL) の<ALABAMA SONG>を連想したのだ。特に出だしの「TO THE NEXT WHISKEY BAR」の BAR を歌う部分がそうで、とにかくゾクッとする。カサブランカズの声質そのものにモリソン的要素は見られないのにどうしてだろう、と思っていたら<LAST NITE>の余韻が長く続いていたせいだった。

カサブランカズとルー・リード、それにモリソンの3者の声に共通して聞こえるのは、物事をさんざん考え抜いた末に立ちのぼってくる、ある種のセクシュアリティーである。彼らの抱える衝動は軽はずみに見えない。向こう見ずには見えるにしてもだ。少なくとも、彼らの音楽的な衝動はそうである。それは総じて人より時間を要したもの、人より遅れて結論に達したものに聞こえる。これほど大胆なのに、逆に冷静に聴こえてくるのはなぜなのか。これほど自信たっぷりなのに、なぜそこに戸惑いやためらいが見て取れてしまうのか。その音楽にどうしてここまで、人間の息づかいを感じるのか。

それは多分、その音楽が異星人のコンタクト暗号のように「ろ・っ・く」と喋っているからであり、それ以外のことは何も言っていないように感じられるからだ。その1点のみに、彼らが没頭集中しているように聴こえるからである。『IS THIS IT』が『NICO』や『THE DOORS』と肩を並べるものであるかどうかの判断は、いずれ誰かがするだろう。MODERN AGE ―― そのサウンドの歩幅はヴェルヴェッツの3rdアルバム『THE VELVET UNDERGROUND』からの<BEGINNING TO SEE THE LIGHT>の革新と覚醒をもう1度呼び覚まし、MODERN AGEというその題名は同様に、ヴェルヴェッツ最終作『LOADED』中の<NEW AGE>の先見を強く思い起こさせるが、肝心なのはその歩幅の重心が後ろでなく真ん中でなく、前足の側にかかっているということである。

「十人十色 / 人の数だけ / 生きざまだってちがうさ」(DIFFERENT STROKES FOR DIFFERENT FOLKS) とスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーン(SLY & THE FAMILY STONE) がかつて謳ったように、人々はすべて、結局は互いに別々の人生を送っていかなければならない。けれどもその別個の人生は、ある時ふとしたことで思いがけず1つにつながって感じたりするものだ。ジョン・レノンの騒々しい死、ジョージ・ハリスンの静かな死、アメリカの911の後のしばらく、そして近年のマイケル・ジャクソン、日本の311の後のしばらく、デヴィッド・ボウイ、プリンス…。

もちろん他にも沢山ある。『IS THIS IT』は、気が乗らなければ単調で面白味のないものに聞こえるかもしれない。けれども、その乗らない気分でさえもがストロークスの放つ日常のビートの一期一会に暗に含まれているのだとしたら、人はそのアルバムを聴いて1つになれるかどうかを問う前に、その一期一会自体を、以前よりさらに身近に感じることになるはずだ。63年のリヴァプール、68年のニュー・ヨーク、77年のロンドンがそうであったように。ストロークスが繰り出すモダン・エイジの敢然たる響きの一撃(ストローク) は、今も『IS THIS IT』を聴く人たちの心の耳を鳴らしている。何度鳴ってもそれが初めてであるかのように、その度にそれが最後の1回だと、彼らだけが知りながらプレイしているかのように。

中野利樹 (TOSH NAKANO)♠

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