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stolen_car
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ブルース・スプリングスティーン(BRUCE SPRINGSTEEN) の<STOLEN CAR>は、彼にとって最初のNO.1アルバムになった80年の『THE RIVER』に収められていた小品である。その2枚組アルバムの川の流れは、表題曲<THE RIVER>を挟んで二手に分かれていた:「恋愛、結婚のこちら側と向こう側」。<STOLEN CAR>はそのうちの向こう側の音楽であり、それは、作られた音楽に聴こえなかった。

必要最低限の小編成・小音量の楽器構成とグレゴリオ聖歌風の降霊男声コーラスとが、スプリングスティーンの歌う孤独な主人公を静かに支える。しかし<STOLEN CAR>の本当の楽器、本当のコーラスは、その音楽に終始生じ続ける沈黙の行間だった。「怖いくらいに真っ黒な夜」に盗んだ車を宛てもなく走らせるのは、どんな気持ちがするものなのか、その気持ちはどこから生じて、何を意味するのか。沈黙の行間は、物言わぬまま、そう問いかけていた。

<STOLEN CAR>の声とサウンドに、一般的な音楽上の慰めはなかった。主人公が経験する幸福と挫折のメロドラマは、それを聴く者の涙を誘いはせず、ただ聴く者の注意を、特別な耳のそばだてを誘ったのだ。「この暗闇の中に / 消えていこう」。 I WILL DISAPPEAR ―― 決して実現はしないその無力の WILL が、直後の DISAPPEAR に冷徹に呑み込まれ、暗闇の真ん中で力尽きる。あたかも主人公には、ついに言葉の自由さえも許されなくなるかのようにだ。そのあと曲はまだ続くがそこにはもう、彼自身の出口はなかった。そもそも彼は、入り口からそこに入ったのではない。本当に主人公が消えていけるのはその黒い夜ではなく、まだ見ぬ青白い朝もやの中である。それまで彼はただ、ずっと走るしかない。盗んだ車を、そのままずっと、盗み続けるしかない。

<STOLEN CAR>には今も1つの不変があるが、その不変とパーマネント性とに新しい光を投げかけるかのような、同じ題名を持った別の音楽が現われた。ベス・オートン(BETH ORTON) の99年のシングル<STOLEN CAR>は、スプリングスティーンの<STOLEN CAR>で彼が向こう側に置いてきてしまった女性の側からの物語である。しかし、音楽の手法はまったく異なる。オートンの<STOLEN CAR>には、行間というものがないのだ。あるにはあるのだが、その行間はすべてギターによって、透き間なく埋め尽くされている。まるでこの曲にはそんな隙間などあってはならないとでも言いたげに。そのギターのフィードバックは、徘徊するチェロのような音色を発し、オートンの主人公がずっと以前に後にしてきたはずの、かつての自分へのモノローグとして機能する。

「人は時々 / 間違ったメロディーに / 間違った言葉を / 乗せてしまう」。彼女の意志に反して再び頭をもたげてしまった、やり直しとしての恋愛の焔を、彼女はどう消せばいいのかわからない。かつての2人と同様、それがうまくいかないのは分かっている。分かりすぎるのだ。<STOLEN CAR>の全篇を通じてオ-トンの歌声は成熟と年輪を、経験と知見とを伝える。一聴してその声の持ち主が、数々の古典ポップに登場してくる、結局は男性の力に頼るしかない立場の弱いステロタイプな女性とは違うことに気がつく。クレヴァーなのだ。

けれども<STOLEN CAR>のオートンが魅力的なのは、そのクレヴァーさが、彼女自身には十分把握も出来なければ制御も出来ない揺れ動く二律背反によって、ぎりぎりのところでバランスしているのが伝わる点にある。そのクレヴァーさは堂々としていて当然なのにもかかわらず、自らに自信を、確信を持てないままでいるのだ。「こういうことに / 何なく対処するために / 今日まで歳をとってきた / はずじゃなかったの ?」。彼女は男にそう言い、自分にそう言い、自分の中の経験と知見に、またそう言う。後悔と超越のハーモニー・ヴォーカルがそこに重なり、前進と退却との分岐点で立ち止まる。チェロのようなギターは影を潜めてうごめきながら、依然としてそこにいる。その分岐点が、2人が過去に方向を異にした『THE RIVER』の分岐点である。往路で時を周到に盗み、他方では時に帰路を盗まれ、期せずして、2つの<STOLEN CAR>が出会う。

スプリングスティーンの<STOLEN CAR>が黒い夜の向こうへとただ走り去るしかないのとは対照的に、オートンの<STOLEN CAR>は、彼女さえその気になれば何でも出来る。ただ1つだけ出来ない事 ―― それが黒い夜の向こうへと走り去ることである。そこでもう1度、あの確信なきクレヴァーさは立ち止まる。こちらと向こうの違いを、もう1度問い正す。曲の最後に90秒近く続くギター・チェロのモノローグ・ソロに、従うべき結論や答えはない。答えは彼女の確信を盗み続けた深く長い時間の中に、彼女がその間自身に問い続けた深紅の苦渋、真っ赤な二律背反の中にある。2つの<STOLEN CAR>は再会し、また別れた。そこに新しい光は差し込んだのだろうか。差し込んだのは光ではなく変わらぬ闇であり、光は2つの曲に耳を傾けるこちらの側に、ただ無造作に残された。変わらぬ闇を何とかして、再び照らしてやるためにである。盗んだ車が孤独の夜明けにちょうど見た、青白い朝もやのように。

中野利樹 (TOSH NAKANO)♠

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