REVIEWS

starting_over
Bookmark and Share

ジョン・レノン(JOHN LENNON) がNYのダコタ・アパート前で射殺されてから、もう30年以上になる。犯人である20年+αの無期刑服役囚、マーク・チャップマンの過去計8回に渡る仮釈放請求は、すべて未亡人ヨーコ側の訴えにより棄却された。最も早ければ、2016年中にチャップマンは釈放される可能性がある。「あの声はもう聞こえない。すっかり消え去った。私の中の新しい声は、解放を望んでいる」。最初の仮釈放審査の審問を、チャップマンは、誇らしげに締めくくっていた ―― 「ジョンもそれを望んでいるのです」。

「神とは / 人間が自分たちの苦痛を計るための / 概念なのだ」と<GOD>の中でジョンは歌ったけれども、1980年12月8日、僕らはまさに、その概念が最も強力に作動するところを目の当たりにしたのだった。その瞬間を見ていなかったのにだ。ジョンは自らの最も崇高な論を、自分の実例と引き換えに証拠だてた。チャップマンの背後に何があったにせよ、この男が20年たってもまだあんな言葉を吐ける男だということは、30年前に既にほとんど明らかだった。結局、事態は年月に見合った変化を見せてはいない。そんなに単純じゃない、とその冷たい事実は、今も告げ続けている。神の手助けを用いても修復し得ない事、悪魔の入知恵を持ってしても2度とは繰り返せぬ事、それがあの時起きた出来事だった。

<STARTING OVER>はジョンが撃たれる前に発表された最後のシングルであり、皮肉なことに彼の最大のヒット曲である。世界中のファンにとって、それ以外の人たちにとっても、必然的に最も直接的に死と結びついている曲でもあるはずなのだが、ここ日本では若干事情は異なり、ドラマの挿入歌や缶コーヒーのCMに使われたりして、新しい結びつきを生んできている (2015年には三井物産のイメージCMでも使用)。この曲の中でジョンが伝えようとしたことから言えば、ヨーコが承認するまでもなく、それらの選択は正しいのかもしれない。それは新しい始まりを、未来の展望を語ろうとする歌であるからだ。しかし<STARTING OVER>は、当初しばらく、逆に聞こえた。それは前だけを見ようと努めながら後ろを気にするもの、輝かしい未来と引き換えに、過去と絶縁しようとするものに思えた。彼が撃たれる前の、この曲を最初に耳にした時から、<STARTING OVER>は自分にとって、多くの人々にとって「ジョン・アンド・ヨーコ」の曲であり「ジョン・レノン」の曲ではなかった。受け手としてのそんなこだわりが、5年振りのその復帰作を、特別に複雑なものにしていたのだ。けれどもそんなこととは無関係に、ジョンの死の翌年、もう1つの<STARTING OVER>が、ひっそり存在していた。

ドニー・アイリス(DONNIE IRIS) の<COLOR ME BLUE>は、1981年に発売されたアルバム『KING COOL』の一収録曲に過ぎなかった。70年代にジャガーズというグループで<THE RAPPER>の全米No.2ヒットを飛ばし、少しばかり名を売ったアイリスは、地元のピッツバーグでその後クルーザーズというバンドを率い、トップ40の下半分に入る程度のヒットを3枚出して、チャートから消えた。そのうちの2枚は、この『KING COOL』に入っている。<COLOR ME BLUE>は<STARTING OVER>と同じ流儀の50年代風のビッグ・ビートを曲の中軸に使っており、懸命に努力したけれども失ってしまった愛についての、その痛手からの一歩についての歌だった。

「ぼくらの愛は / 始めはゴールドのようだった」「君はそれを / 履きつぶした茶色い靴のように / 扱った」「でも / まだ君のことが / 好きなんだ」。その履きつぶした茶色い靴 (old brown shoes と歌われる) とは、解散目前の後期ビートルズのシングル<ジョンとヨーコのバラード>のB面曲<オールド・ブラウン・シュー>の題名であり、1人ぼっちのアイリスを、決して上手いとは言えないコーラスが何とか慰める。「ミスター・ブルーと呼んでほしい」「ロンリーな色に染まるんだ / ブルーな色に」。アイリスのヴォーカルは何だか下手なエルヴィスの物まねのようで、その声は冗談とも本気ともつかない。クルーザーズは良く言っても腕の立つニ流バンドといった感じで、どんなに頑張ってもビートルズにはなれないが、彼らにはどことなくあの愛すべきビートルズ・パロディ・バンド、ラトルズ(RUTLES) のような愛嬌がある。しかし、ほどなくしてその愛嬌は不要になる。真ん中のブリッジのところで、彼らはまさに、<STARTING OVER>のバックを務め始めるのだ。

「なんとか / 動き出さなきゃ / 新しい人生を / スタートするんだ」「この僕にまっすぐに接してくれる / 愛を見つけなくちゃならないんだ」。<STARTING OVER>のブリッジでヨーコが歌った「パー・リ・ラッ / パー・リ・ラッ …」というあの耳に残るコーラスが、クルーザーズの4人にそのまま引き継がれるのを僕らは聴く。ジョンにはヨーコがいる。アイリスにはヨーコはいない。ジョンは幸せで一杯だけれども、アイリスはそうではない。彼は吹っ切れないものを、無理にでも吹っ切らなければならない。けれども、彼の最後の言葉は違っていた ―― 「だけどやっぱり / 君を忘れることは / できないよ」。

その直後に感極まって彼が発する「アーッ…」という声にならないうめきの涙、その涙をさえぎるように即座に拭い去る、例の二流のギター・ソロ。それはいかにもクサいものであり、数十秒の命に過ぎないけれども、終わるつもりのないもの、消えゆくことのないものに思える。ドニー・アイリスとクルーザーズは、自分たちの長い経歴のすべてを、その数十秒に注ぎ込んだ。<COLOR ME BLUE>は世界的名声という後ろ盾を持たなかった<STARTING OVER>であり、人の耳に苦もなく届くということを最も夢見た<STARTING OVER>、気づいた者以外の前では存在を許されなかった<STARTING OVER>だった。

彼らはジョンの死にひそかに物申し、その死のショックが幾分和らいだ頃にゆっくりと浮上して、あの醜悪な出来事がなかったならば<STARTING OVER>がその時伝えていたかもしれないことを伝え、遠ざかりながら徐々に減衰していく<COLOR ME BLUE>の長く深いリフレイン (それは本当に長く深い) の中に舞い戻り、何事もなかったかのように消え去った。有名であれ無名であれ、新しいスタートをするためには人は古い傷を手当てし、そのかさぶたを剥がさなければならない。あらん限りの愛情を込め、持てる力を振り絞り、彼らはそう歌ったのだった。

それは本物の<STARTING OVER>のように世の中を動かしはしなかったし、動かさなくて当然のものだった。まれにしか聴かれなかったからだ。<COLOR ME BLUE>はジョン・レノン暗殺の彼方にうっすらと架かった、多くの人々が見逃した出来損ないの虹だった。それは元々の<STARTING OVER>に一礼し、ジョンの死を背負った後の<STARTING OVER>に鼻水まじりに語りかけ、20年、30年後の<STARTING OVER>に二流のわずかな命を託し、二流以上の力を与えた。

<STARTING OVER>の古いかさぶたは、だから多分、今はもう宙を舞っている。この場合それは "20世紀の偉大なアーティスト、ジョン・レノンの残してくれた功績" のゆえにではない。ダコダ・ハウスから370マイル隔たった街のバンドの、忘れられることさえなかった捧げ物のおかげである。今は缶コーヒーの名前のついた場所 (ヘヴン) にいる主人公のジョンが ――、地元ピッツバーグのどこかでローカル・ヒーローとしてまだあのメロディーを口ずさんでいるはずの脇役アイリスが ――、天地をはさみ、互いに声を合わせてハモっている。パー・リ・ラッ、パー・リ・ラッ。

中野利樹 (TOSH NAKANO)♠

Terms of Use, Copyright © 2017 The Art of Listening. All Rights Reserved.








▲ back to TOP ▲
inserted by FC2 system