『Club 8』の芳香スプレーの顕著な特徴は、その香りの粒の1つ1つが、固有の温度と湿度を宿していることだ。それは香りだけでなく、季節を塗り替えるスプレーである。オープニングの<Love in December>で聴ける繊細にして圧倒的な冬は、彼らの出身地であるスカンジナヴィアの12月という以上に鉤かっこ付きの「冬」であり、カロリーナ・コムステッドの忘れ難いささやきヴォイスからこぼれる結晶のような白い吐息に、それに作曲・演奏・制作担当のヨハン・アンゲルガイトが奏でる音の織り機のような簡素にして流麗なアレンジメントに、その「」が強く感じ取れる。「透き通った北欧の冬」や「どこどこの冬」でなく絶対的な冬、「ただの冬」である。
<Love in December>の絶対的な冬はそのまま、ひとつの絶対的な死、絶対的な愛を伝える。この、最後を看取る恋愛というイメージにはこれまで数多くの悲劇的恋愛映画やドラマのハイライト・シーン、ラスト・シーンが内包されてきているけれども、イメージの残照という点ではそれらの映像の大半は、この曲が描いている深く控えめな音のヴィジョンに及ばない。<Love in December>は音楽的かつ映画的なのだ。
しかし『Club 8』の永遠には愛と死だけではなく、冒険と再生の春もちゃんと用意されている。<A Place in My Heart>ではカロリーナは、通りで見かける名前も知らない彼との恋に期待をかける。全体の調子は、ちょっといたずらっぽい感じだ。どんな10代のフランス映画に出てきてもぴったり合いそうな軽やかなキーボードのリングが、その期待自体のフックに、先導役になる。
他にもまだある。本来なら相容れない内容の歌詞とメロディとを組み合わせることで生じる新たな、美しい一体感といったものがそれで、簡素な<Hope for Winter>の清々しいとも言える迷いや戸惑い、わずか50秒のトラディショナル風<London>の暖かな皮肉は、初めは聴く者をしばらく立ち止まらせ、聴き終わりには豊かに、なぜか鮮やかにもさせていくものだ。
『Club 8』がたったの32分間でもって語っていることは、人の生涯には冬と春の両方が必要であり、どちらかが欠ければ、もう一方の存在も消えてしまうということである。この世に愛があるからこそ、曲がりなりにもその存在を知っているからこそ、別れがつらい。避けてしまいたい。『CLUB 8』の奏でる世界においては、ぽかぽかの陽だまりと黒い影とは同列である。<Love in December>と<A Place in My Heart>とが、天地を隔てながらも互いに語り合う友に感じられるのと同じ具合にだ。
「魂のために祈るの / この心から生まれてくる / 何かのために」。<Say a Prayer>のコーラスでカロリーナが優しく告げるその「何か」を捜し求めるドリーム・ポップ ―― それがClub 8の見つける最上の音楽である。『Club 8』を聴いたあと、冬と春は、愛と別離は、人の陽と陰は、そんなにかけ離れた場所にはないと聴く者が感じ取るのだとしたら、それはちょうど<Say a Prayer>の印象的なピアニカのフレーズを転用した35秒のインストゥルメンタル<The Sand and the Sea>で聴けるように、寄せる波と返す波との違いのようなものだからかもしれない。