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someday
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先々週の蒸し暑い日曜日、自宅近くの公園を夕方近くに横切っていたら、前から来る小学5、6年生程度の男の子とすれ違った。彼はヘッドホンを片耳だけ掛けていて、もう一方から音が漏れており、「ん ?」と思った4秒後、小走りに駆けていく少年の背中を呼んでいた ―― 「ちょっと (ほかに呼び方なかったのか) ! 」。立ち止まってこちらを振り向いた少年に、僕は「ナ・イ・ス」と言いながら、同時に3回、右手の人差し指で自分の右耳の上を指し、ナイスの中身をとっさに説明した。相手は今どきの子供である。リアクションとして「だれ?」を想像した。もしくはただの一瞥を。すると彼は、ヘッドホンを小さな首に落して予想外の言葉を返した。「うん。パパが好きなんだ、これ」。

佐野元春の<SOMEDAY>は、1981年の6月の終わり、ちょうど蒸し暑い今ごろに発売された。「街の歌が / 聞こえてきて / 真夜中に恋を / 抱きしめたあの頃」。それは2010年6月の公園の少年とパパのお気に入りなだけでなく、当時のポップ音楽少年、ポップ音楽少女、ポップ音楽青年、ポップ音楽女性、ポップ音楽成人みんなの曲だった。彼らがそのレコードを買い、家に帰って初めて聴いたとき、それは彼ら共通のお気に入りに、突然「ぼくらの音楽」に切り替わった。いきなり、それはやって来たのだ。考えた理屈ではなかったし、時の売上げからでもなかった (この曲の当時のチャート順位は84位で、その後を予感させるものは、当初のセールス面にはなかったのだ。今となっては、しかしその事実こそ、むしろ誇らしい)。人々はその曲を黙ってかけ、ただ確信した。頷いた。そんなことは多分初めてだった。ポップ音楽少年の1人は、翌日から初期のウォークマンで<SOMEDAY>をリピートしながらお決まりの登下校のペダルを踏み、交差点でいつもの信号待ちをしながら思った。世の中は、変わる。

彼らにとって、少年にとって、世の中はある程度、実際に変わった。世界がこうであったなら、自分がこうあったならという願いを<SOMEDAY>は初めて、人々に音楽の中へと直接に持ち込ませたのである。言い換えれば人々はあの日「まごころがつかめる / その時まで」を聴いたがために現在の自分になり、あの時偶然「信じる心 / いつまでも」を歌い叫ぶ佐野元春の声を聴いたがために、自分の中の世界が今の世界へと形作られた。もちろん、すべてではないにしろ。その声とサウンドがなければ、それは起こらなかった事だった。それに、起こったのは自分1人ではなかった。音楽好きのクラスメイトの多くも、異口同音に同じ興奮を伝え、同じ啓示を喋っていた。あまりの一致に少年はびっくり仰天し、嬉しさ余って、放課後の黒板消しを床に叩きつけた事が思い出される。そこにはどうしたわけか、皆が感じているのだ、きっと感じるはずなんだという共通の新認識が生まれていた。ポップ・ミュージックというフィルター、ろ過装置を通して、自分と世の中とを測ること ――、<SOMEDAY>はその最初の日本語版として、人々の前に現われた。だからあの時、たぶん世の中は、現に変わっていたのだ。

それは自分と人とを結んでいる要素、自分と人とを分けている物質が何であるのかを教える、この国最初の音による公式の処方箋として、自分が今こうしてここに在る自分であるのは何故なのかを伝令する、この国最初の公のポップ・シンフォニーとして機能した。<SOMEDAY>は最初から「世の中を変えるつもりの音楽」だった。政治的にではなく、美的に。この曲には、それを歌った佐野元春には、最初からその覚悟があったのだと僕は思う。最終的な結果は、その覚悟に見合ったものだった。81年のシングル<SOMEDAY>のあと、次の年のアルバム『SOMEDAY』のあと、それ以降のいつでも、その新しい日本語のシンフォニーを聴いた人たちは、そこに自分史の中の自分自身を見出し、ありうる最上の視野と知覚の可能性を感じ取った。こう思うのは自分1人じゃないのだと、「人々である皆」「全員である1人1人」が初めて一斉に、共有的に感じた最大公約数的国産ロック・シンフォニーに、脱「10代型半自動偶像崇拝」ポップの中にである。

何かが変わる。自分も変わる。「若すぎて / 何だか分からなかったことが / リアルに感じてしまう / この頃さ」。ポップ少年は確かに若すぎたけれども、その文句をリアルに感じていた。今までリアルでなかった事がリアルになり、それまで起きなかった事が起きる。何かは分からないけれど、何かが、初めて始まる。「約束してくれた / 君」。その「君」には、この曲を皆のもの ―― 、人々を集め、招き、1つに引き寄せるものであると受け取ったあらゆる人々が、暗に含まれてもいた。「手遅れと / 言われても / 口笛で応えていた / あの頃」、<SOMEDAY>の約束は、その手遅れを数分待たずに取り消し、そうしただけでなく「ロマンティックの中にある現実性」を「現実の中に残るロマンティック」へと上書きした。そのサウンドの全体が、耳にした人々にとってそれまでになくリアルなもの、これまでとは違うもの、「自分の中にまだ残っているロマンティックと、ダイレクトに関係があるもの」に思えた理由はそこにあった。

その「関係がある」音楽は、何もかもが常時オープンな音楽でもあった。聴きなれた街中のクラクションとブレーキと雑踏。それがこの曲のイントロでは、物事が変わるときの予告編、コールサインのように聴こえてくる。まさにそうだった。<SOMEDAY>の約束のサウンドは、驚くべきことに、24時間いつ聴いても、外に向かって開かれていた。したがってそれは、どんな気分の時のポップ少年をも受け入れた。拒まなかったのだ。フレーズの度に脚光を発しながら、独行と独考の水溜りを蹴って駆けていくその音楽は、どの瞬間もが話相手を捜し求める新しい試みの数分としてラジオで、街中で、誰かのWALKMANで鳴り続けた。人々はそのシンフォニーを聴きながら自ら胸を張りたいような、実際に胸を張れるような不思議な心境に運ばれた。その音楽が含んでいた跳躍の象徴に。それが日本語で歌われたものであることに。それが人々皆に向けて書かれたのだと感じられた感覚それ自体にである。

人は生きている限り、さまざまな困難や苦しみ、喜びや怒り、繰り返しと新奇、感動と退屈、未知と既知、記憶と忘却とに遭遇し、それらと付き合い、自分の中で折り合いをつけて、日々を過ごしていく。81年の夏の始まり、<SOMEDAY>はその折り合いを、無用なものにした。その音楽は、人々が長い間こうだと思い込んでいたもの以外の何かを ―― これはこんなもの、あれはあんなもの、世の中とは、生きるとは結局こういうもの、という僕らの硬直した現実観念に引かれた境界線のその向こう側を、鮮やかに、果敢に描き出した。あの日から日本のポップの中の「愛」は、「信じる」は「素敵」は、以後永久にその意味を変えた。その意味を深く、大きく広げ、そうする過程でそれらの単語が持つ姿・かたちの全体をゼロ・ベースで新しく求め、問い、労と嘲を引き受けながら探し直したのだ。

曲の終わりの手前で、彼が叫ぶ。WE'RE STANDIN' INSIDE THE RAIN TONIGHT ―― その「日本のポップ」にあの時降った約束の雨、歓喜の雨、みんなの雨。それは今はポップの中ではなく人々のその街、この街のどこかで、我々の日常とその知覚のすぐ隣に、あたかも当たり前に、しかし直接人々を濡らすことはなく降り続いている。<SOMEDAY>は、この国の現代を生きる種々雑多な僕らの価値観の、ポップ音楽における一番最初の中心点として存在した。その音楽は世の中の現実と理想の間の境目を、他のどの日本語の音楽よりも劇的にリアルに明らかにし、同時にその境目は、人々の弛まぬ日々の中で代償的、交換的にたやすく忘れ去られるべきではない ―― 、片側でそう叫び、もう一方で手を差し出した約束のサウンドとして、過去30年の間鳴り響いた。褪せる、諦める、捨て去るという言葉の意味をどこかにつなぎ留めようと考える人々にとっての、至近の、座右の、個人の内部で持続可能な、意識の移動書庫としてである。

あの夏に若すぎたポップ少年だったポップ成人はその公園の端で、急に黒く変わり出した午後7時過ぎの分厚い雲をちらちらと気にしながら、目の前の2010年6月の新しい小さなポップ少年に、急いでゆっくり頼んだ。「よっし、じゃあもう1回聴こっか。雨降ってくるまで」。

中野利樹 (TOSH NAKANO)♠

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