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rose_ginger
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「安心なぼくらは / 旅に出ようぜ」。くるりの<ばらの花>で、リード・ヴォーカルの岸田繁が、感情の高ぶりを排して、そう歌う。彼の実直な声には遠い距離感が、一定の気持ちの隔たりがあり、その声は聴く側であるこっち側のぼくらを振り向かせると同時に、無性に落ち着かなくさせる。その隔たりは、歌っている事柄からの文字通りの物理的隔たりである以上に、この世の中からの心理的な隔たりを伝えてもいるからだ。「思い切り / 泣いたり / 笑ったりしようぜ」。

岸田のヴォーカルとくるりの3人がそこで作り出している淡々とした、循環的で浮世離れしたサウンドはそのまま、それを聴くぼくらの回りをぐるぐると回る。その循環には大人の諦めが、世間はさして構いは出来ないんだ、という苦い含みがあるのだ。その含みが「ぼくら」が本当は安心できないことを告げ、思い切り泣き笑い出来ないということを、そっと打ち明ける。機会さえあれば彼らはいつでもそうしたいのだが、できない。そうする時間がないから出来ないのではなく、そうする心の置き場所がないから出来ないのである。

音楽は、今のこの世界に安らぎを見出せずにいる者たちの小さな匿名の物語として進んでいく。彼らは確かに安心できないのだが、かといってそのことで世の中をののしったり、噛み付いたりはしないし、そうしようなどとは思っていない。「ジンジャー・エール / 買って飲んだ / こんな味だったっけな」。そこに聞こえるのは排他的、攻撃的な姿勢ではなく、雑多な日々の歩みの中で、それらの姿勢にいつもかき消されてしまうおだやかさ、何気なさへの願いなのだ。

<ばらの花>が咲こうとしている世界においては、そのおだやかさと何気なさは、わざわざ意識しなければ、手に入れようと敢えて努力してみなければ、獲得することが出来ない。まるでそれらが人の心の状態を表わす言葉でなく、ジンジャー・エールのように、金を払って買い求める物品であるかのようにである。この世界はそういう世界なのだとくるりの夢幻サウンド、循環サウンドは秘かに告げる。

<ばらの花>の「ぼくら」は、世の中がもっと安らぎに満ちたものであればと願いながらも実際にはどうすることも出来ずにいるぼくら、具体的に何かをする代わりに自分たちでただ、静かに憩うしかないぼくらの物語を語る。その結果はこっち側のぼくらを秘かに感じ、動かすものであり、それはぼくらに「それぞれのジンジャー・エールの味」を思い出させる。ただ静かに、憩わせる。自分がいま生きている世界が<ばらの花>の世界と同じだと感じられる者にとっては、特にそうなのだ。

中野利樹 (TOSH NAKANO)🍀

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