アクースティックとリズミックとの瞑想をはさみ<Prepared to Be Mined>(採掘 [=爆破] に備えて) では、ふいに訪れる多重コーラスがそれぞれに別々のフレーズを別々のタイミングで、別々の方角と聴き手の別々の耳に向けて一瞬に同時に放つ。1度目には何が何だかこちらには分からず、2度目には何とかそのコーラスの群れについて行こうとし、3度目にはその多重の群れがやって来るのを楽しみに待つ。短時間にその洗練の群れに鍛えられた急造ハンター、あるいは作業の間じゅうこのアルバムがトンネル内にがんがん響き渡っている、臨時雇いの採掘従事者のように。
単に名付けられたという以上の役割をある時はユーモラスに、ある時は裏返しに、そしてある時はあたかも黙示的に果たすその曲名の付け方、タイトリング。そこで聴き手は、このアルバム自体のタイトルについて考える: HE THINKS HE'S PEOPLE ―― 彼は自分を「人々」だと思う ――。彼なのに人々? なぜ? スラング表現でPEOPLEがPERSON、つまり単数の「人」を単に指すということの他に、その「人々=PEOPLE」とはおそらく、彼と彼の音楽とが語りかけている聴衆、聴き手のことも暗に指している。