『1973年のピンボール』のその一節に登場していた「古いジーン・ピットニーのレコード」を、1962年に人並み外れて熱心に聴き取っていたわずか4歳のアフロヘア満開の早熟少年が、ミネソタ州ミネアポリス北部の非富裕層地域にいた。ピットニーのそのレコードの題名は〈Princess in Rags〉(ぼろを着たプリンセス) といい、家庭の事情で貧しい洋服をいつも着ている、けれども豊かで美しい少女に恋した男子の歌だ。
15歳のスティーヴィーが歌う曲中主人公の10代少年は暮らし向きの悪い家庭に育った poor man's son (貧しい男の息子=英語の決まり文句で、自分も同じ運命を辿るのではという怖れが暗に含まれる) 。洋服はいつも同じ冴えないシャツで (洗濯の時の着替えはどうしていたんだろう) 、その冴えない少年が「真珠みたいな子」に恋し、彼女もまた、好意を返してくれたのだ。
ポップの領域では特定の歌詞が生気を帯びて聴こえるか馬鹿馬鹿しく聴こえるかは、それを歌う瞬間の歌手の生気と、その生気を包むサウンド全体の響きとの美的演算によって決定される。UPTIGHTとは文字通りには「心配して、窮屈に緊張して」だが、この曲の場合には男女が結ばれようとする際に生じる性的な消極性、つまり「奥手」的状態を指していて、poor man's son の運命の呪いが、踏み出せない主人公の積極性に影を落としている。
自分を物心両面で変えてくれるかもしれない千載一遇の機会を目の前にし、主人公は悩み、uptight と言った後にこうも言う。out of sight (無敵にごきげん)。負からの脱出がほのめかされる。ドラムスとギターとブラス、それに真珠の彼女のポジティブな助けを借りて、主人公のスティーヴィーは運命からの旅立ちを決意したのだ。
ここでプリンスは、前年82年の一大出世作&一大傑作曲〈Little Red Corvette〉(この曲が全米トップ10に初めて食い込み、ファンと批評家の両方の絶賛を得たことがプリンスに『Purple Rain』を作る自由とスペースをもたらした) でガリガリっと鳴る印象的なソロを弾いていたギタリスト、デズ・ディッカーソン (そのソロはプリンスがレコード上で他人に譲った最初の、最上のギター・ソロでもある) のソロキャリア転向を祝った後の後任に80年途中から既にメンバーだった信頼厚いキーボード奏者リサ・コールマンの紹介で、女性ギタリストのウェンディ・メルヴォワンを舞台初登場させる。今後のどんなロックの教科書にも登場するであろう「プリンス&ザ・レヴォリューション」の公式誕生日である。
そのチャリティ・ライヴでプリンスとレヴォリューションは12曲を演奏した。半分の6曲が未発表の新曲で、うち5曲が翌年のモンスター・アルバム『Purple Rain』の収録曲となり、かつその5曲の内の3曲〈I Would Die 4 U〉〈Baby I'm a Star〉〈Purple Rain〉が公式発売ヴァージョンの原形、母体として使われた。このうち〈Purple Rain〉がライヴ時の音源を最もストレートにそのまま使っていた。彼らは1800万人が熱狂したアルバム『Purple Rain』の10ヶ月前に、1400人を熱狂させた『Purple Rain』の半分を既にライヴでやり、それを収録していたのだ。
エモーショナルな力はしかし、現実的要素を統治制御もする。彼の代表曲は過去のポップの楽曲に向けられた未来へのオマージュである。〈Kiss〉はジェームズ・ブラウンの〈Papa's Got a Brand New Bag〉、〈When You Were Mine〉はビートルズ〈I'm Looking Through You〉、〈I Wanna Be Your Lover〉はブラザーズ・ジョンソン〈Strawberry Letter #23〉、〈Cream〉はT・レックス〈Get It ON〉、〈Adore〉はオハイオ・プレイヤーズ〈Honey〉、〈When Doves Cry〉はデヴィッド・ボウイ〈Ashes to Ashes〉の絶妙なリライトだ。
パープル・ラウンジでのインタビューで『座右の銘のようなものは?』と尋ねると、シルクの黒の上下に紫のバスケット・シューズを履いたプリンスは『人生格言みたいなものはないけど、特別に気に入っている歌詞があるんだ』。I'm a lonely painter / I live in a box of paints ―― 僕は孤独な絵描き / 絵画だらけの箱住まいさ ―― 彼が生涯ずっと敬愛したジョニ・ミッチェルの1971年アルバム『Blue』からの〈A Case of You〉(ワンケース分のあなた) の一節だ。
『簡潔だけど深い言葉で説明していた。何をって、僕自身を』。彼の生涯をある意味で生涯規定したこの曲のプリンス版が2002年のピアノ弾き語り作『One Nite Alone...』と2007年のジョニ・ミッチェルへのトリビュート・オムニバス・アルバム『A Tribute to Joni Mitchell』で聴ける。
1つの楽曲は、どこまで人を運べるのだろう。人はそれを、どこまで自分自身と一緒に連れていけるのだろうか。多くが今日と微妙に一致していく見慣れた明日を生きつつ、心の一部で刻まれ続けるゼロへの不正確なカウントダウンの音量を雑に上下しながら、僕たちは自分の五感を捉えたその音楽と、最後にどんな決着をつけられるのだろう。それは、ほとばしる「グッバイ」なのか。プリンス版の〈A Case of You〉は、ほとばしる「サンキュー」だと告げていた。あの遠いパープル・レイン初演の1983年8月3日、プリンスは生まれたばかりの豪華絢爛な自分の新曲に混じって、ひっそりこの曲を演奏してもいたのだ。
この〈A Case of You〉には番外編、エクストラがある。『River : The Joni Letters』の日本盤と米アマゾン盤のみに収録されているハービー・ハンコックとウェイン・ショーターのインスト版だ。発売の2007年に僕はプリンスにこの曲を添えた一言のメールを送った。DID YOU HEAR THIS ? (これ聴いた?) 。1週間後に彼は返事をくれた ―― I DID, I LOVE IT ! 。続いて一行が添えてあった ―― A FRIEND YOU NEVER MEET CAN BE THE FRIEND YOU WANT MOST (会ったこともない友人 [=つまり音楽] こそ、その人の友)。プリンスにはそんな友が無数にいた。僕たちには何人いたのだろう。
メロディやコードを弾くことを止め、ただギターのネックの突起=フレットにタッチするのみのギター、金色の金属の小銀河に自分の空気のみを送り続ける、特定の音を発しないため息のようなショーターのサックス。ハンコックとショーターの組み合わせは何度もあったが、この〈A Case of You〉の後半部のような組み合わせは聴いたことがない。それは儚さの1つのファイナルアンサー、極致である。遠く離れた見知らぬ人間からの思いがけない音の細動として、その瞬間は聴く者の井戸の小銀河を、静かに貫く。
プリンスの特異点は、その適宜試行が全くの自力の操作意志によって実施されていたことだ。1987年の『Sign 'O' the Times』までのプリンスは、自身の中のアポロンとディオニュソスが彼の音楽上で折々に顔を出したのではなく、そのアポロンとディオニュソスを自分の中に飼っていた。餌付けして手なずけ、愛情を注ぎ、「互いのいいとこ取り」を彼自身の希少な才覚が持ち出す驚くべき多様性や多義性に、自在にシンクロさせていたのだ。
ローリング・ストーンズの1978年傑作『Some Girls』の「音作り?プロデュース?そんなの糞くらえ」的な換骨奪胎主義を黒いパンクとファンクとポップとソウルに同時昇華させた1980年の『Dirty Mind』を序章的前段として、82年『1999』から84年の署名捺印アルバム『Purple Rain』を経て85年『Around the World in a Day』、86年『Parade』と続く作品群は「孤独な絵描き」プリンスにとって、絵画のキャンバスそれ自体がそもそも、意匠と異彩を放つ純正の切り絵だった。それらのアルバムは、絵を描く以前の空白の下地そのものが固有の審美造形を既に組織し、その組織の結合が新しすぎる幾何学と新しすぎない舞台設定を、「プリンスというポピュラーな異化作用」を宣言していたのだ。
その宣言の下地には奥行を伴った不思議な基調色が付随していた。パノラマ展開される『Purple Rain』のステンドグラスの赤と青=紫、聴くたびに音の焦点が移動する『Around the World in a Day』の万華鏡型極彩色ポスター・カラー、煮沸濾過精製された『Parade』の滝と清流の白と灰と銀。3枚には共通して、ある色が欠けていた。金色。その金色こそが当時のバブリーな80年代世界と80年代音楽が必死で身にまとった色である。
プリンスは自分の音の絵の具箱から、意図的にその金色を排除していたのだ。その3枚の多くの部分が今も、時の流れに無関係な不朽の装飾画に、時の流れをむしろ歓迎し、自らに吸収していく年代不詳の祭壇画に聴こえるのはそのためである。1987年の『Sign 'O' the Times』でただ一度、変則的に四角いキャンバスに16枚の異なる切り絵を直接貼り付けた後、以降のプリンスのキャンバスは原則として固定された汎用タイプの四角になり、切り絵の代わりに金色を含んだ塗り絵による濃淡のバリエーションが、時々の例外を挟んで続いていく。人間の尋常ならざる才能は、その才能を生んだ尋常なる生命が尽きて初めて、その生命全体が意味しようとしたものに追いつくことを許されるのだろうか。
LET ME GUIDE YOU TO THE PURPLE RAIN ―― 紫の雨にどうか打たれてほしい ―― 人々はプリンスの誠実な招きに従い、自分自身の実人生上に訪れた喜び、哀しみ、苛立ち、充足を、訪れるはずだったそれらを、訪れずじまいだったそれらを、訪れ過ぎたそれらを、そのソロの中にもう一度探しに行った。
デュエイン・オールマンの〈Loan Me a Dime〉、ジミー・ペイジの〈Stairway to Heaven〉、エディ・ヘイゼルの〈Maggot Brain〉、エリック・クラプトンの〈Layla〉…。歴史に残る長尺ギターの名演奏はしかし、どれもがロック領域内におけるブルーズという特定の音楽形式に則ったジャンル内の特上ソロだった。プリンスはその制約から抜け出した。ここでの彼のギターは必然の偶然に、意識外の自動筆記に、凝縮された天の配剤のように聴こえる。「自分はプリンスじゃなかった」と彼が言ったのは、多分そのことだ。いずれにせよ、この広い世界の中でそのフレーズを弾ける人間は彼1人だった。
この公演を収録した公式VHSとレーザー・ディスク (ともにアナログ映像) はずっと廃版で、その後一切の商品化はされておらず、本公演のデジタル映像は2016年7月の時点ではまだ存在しない 【注1】。デジタル音源はプリンスに愛情と理解を寄せる有名なブート・レーベルのサボタージュその他が比較的高音質で出してきていたが現在は廃盤、ほぼ同等の音質で彼の死後に新興レーベルのスモーキンが出した2枚組CD『Purple Reign in New York』がアマゾン他で現在入手可能である。