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【この批評は、雑誌『現代思想』2016年プリンス増刊号掲載原稿に、加筆を施した改訂版です】


1980年に刊行された村上春樹の第2作小説『1973年のピンボール』の中に、さりげなくも心を揺さぶる、素晴らしい一節がある ――

ある日、何かが僕たちの心を捉える。なんでもいい、些細なことだ。バラの蕾、失くした帽子、子供の頃に気に入っていたセーター、古いジーン・ピットニーのレコード…、もはやどこにも行き場所のないささやかなものたちの羅列だ。2日か3日ばかり、その何かは僕たちの心を彷徨い、そしてもとの場所に戻っていく。… 暗闇。僕たちの心にはいくつもの井戸が掘られている。そしてその井戸の上を鳥がよぎる。


僕たちは音楽を聴く。もしも気分がぴったりで、少しばかり運が良ければその過程で、その音楽から実に多くのものを獲得する。まるで自分自身のような、決して粘着質ではないあっさりとした感情のひとはけ、その日1日持続する想定外の濃密な激情、意味ありげで実際はそうでもない世界への知覚更新、正真正銘の世界の知覚更新、明日の心の天気予報、書籍1冊分の完璧な理論武装、慢性化した帰宅部への新鮮な転部届、人には見られたくない、見られようのない個人的歓喜と啓示…。けれども僕たちが本当に得るのは、多分その「暗闇」である。1つの曲、1枚のアルバムから人々がある時受け取った事柄は、たとえどんなに深いものだと確信しようと、どんなにくだらないと即断しようと、究極的には自分以外の他者と同等に分かつことは不可能なのだ。「あの曲めちゃくちゃいいよね」「まじ?いや意外。実はそれ生涯ベストの候補かも」。2人の間には束の間の極上の充足感と、それより長きに及ぶ、言葉にし難い不完全燃焼の燃えかすが残される。

その束の間がどれだけ盛り上がっても、楽しいひとときがどれだけのビールとワインとウィスキーを (コーヒーとコーラと烏龍茶を)、臭くて香り高い煙の渦を運んだとしても、彼や彼女にとって「その時本当に語りたかったこと」は、「その時なぜか言いそびれたこと」と同じであり続ける。村上春樹は1980年にその歓喜を、その「言いそびれ」の結末の秘密を知っていた。僕たちは「もう1人の自分」が自分以外にいないこと、だからこそ自分以外にそれを探せる人間がいないことの両方を、生きている間、ずっと知り続ける。『1973年のピンボール』の文脈において、2017年の僕たちの文脈において、音楽とは究極には「どこにも行き場所のないささやかなものたち」の総称、その無数のかけらの1つ1つである。そのかけらは最後に暗闇に、その暗闇に掘られた時々の、僕たちそれぞれの歓喜と啓示の井戸の中に戻る。

『1973年のピンボール』のその一節に登場していた「古いジーン・ピットニーのレコード」を、1962年に人並み外れて熱心に聴き取っていたわずか4歳のアフロヘア満開の早熟少年が、ミネソタ州ミネアポリス北部の非富裕層地域にいた。ピットニーのそのレコードの題名は〈PRINCESS IN RAGS〉(ぼろを着たプリンセス) といい、家庭の事情で貧しい洋服をいつも着ている、けれども豊かで美しい少女に恋した男子の歌だ。プリンスという名の4歳の早熟児は、自分の名前に近しい主人公を歌ったその曲を毎日聴き、ついには自分なりの批評を加えた ―― 『プリンセスはきっと、ぼろのままだった方が気楽で幸せだったのかもしれない。彼が一生懸命彼女のために働いて綺麗な服を買ってあげたいというのが、何だか重たくて嘘っぽいなと思った。自分が作者なら「ぼろは脱ぎなよ。君の裸はボロじゃない」と書いたと思う。その上で彼はこう続けるんだ ―― これ僕の服だけど、着てみる?』。

ミネアポリスの南西に位置する人口2万人規模の小さな街チャナッセン (日本のプリンス関連の表記ではしばしば「チャンハッセン」と書かれるが、これが実際の現地読みに即したもの) にある巨大なペイズリー・パーク複合スタジオ内に設けられた当時の通称「パープル・ラウンジ」での2002年のインタビューで、かつて4歳の熱心な早熟批評少年だった44歳のプリンスは続けて『これは盲点な質問だ。欧米の記者はそんな昔すぎる事は全然尋ねないよ。僕の歴史にも4歳は実際に存在していたんだけどね』。そのぼろのプリンセスから3年後の65年に、彼は生まれて初めて (といってもわずか7歳なのだが) 批評をする気になれない見事な音楽に出会う。当時15歳だった「神童」スティーヴィー・ワンダーの全米第3位シングル〈UPTIGHT〉だ。『すべてがとてつもなく新鮮でリアルだった。僕にとってはこの曲が人生最初の「ハード・ロック」だ。あとで知ったよ。曲を書くこととは別に、アレンジとかプロデュースって凄い作業なんだってことを。それと、遠く離れた会ったこともない人に、擦り切れた同じレコードをまた買い換えさせるパワー。それが自分の存在を強い力で引っ張るのを感じていた。君も聴いたかい?あの弾むドラムスとギター、ブラス。それにスティーヴィーのヴォーカルと真実の歌詞を』。

15歳のスティーヴィーが歌う曲中主人公の10代少年は暮らし向きの悪い家庭に育った poor man's son (貧しい男の息子=英語の決まり文句で、自分も同じ運命を辿るのではという怖れが暗に含まれる) 。洋服はいつも同じ冴えないシャツで (洗濯の時の着替えはどうしていたんだろう) 、その冴えない少年が「真珠みたいな子」に恋し、彼女もまた、好意を返してくれたのだ。ポップの領域では特定の歌詞が生気を帯びて聴こえるか馬鹿馬鹿しく聴こえるかは、それを歌う瞬間の歌手の生気と、その生気を包むサウンド全体の響きとの美的演算によって決定される。UPTIGHTとは文字通りには「心配して、窮屈に緊張して」だが、この曲の場合には男女が結ばれようとする際に生じる性的な消極性、つまり「奥手」的状態を指していて、poor man's son の運命の呪いが、踏み出せない主人公の積極性に影を落としている。自分を物心両面で変えてくれるかもしれない千載一遇の機会を目の前にし、主人公は悩み、uptight と言った後にこうも言う。out of sight (無敵にごきげん)。負からの脱出がほのめかされる。ドラムスとギターとブラス、それに真珠の彼女のポジティブな助けを借りて、主人公のスティーヴィーは運命からの旅立ちを決意したのだ。

7歳のプリンス少年も同じように決意した。〈UPTIGHT〉を聴くほんの数ヶ月前に両親が離婚し、セミプロでジャズバンドをやっていた父親が家を出て行ったのだ。自分の音楽をセミプロレベル以上に広げられない苛立ちが父親を躁鬱にし、その躁鬱の言葉と態度がプリンス少年の多感な情操に「音楽をやっている時の父は好きだけど、他はぜんぶ嫌い」を刻ませた。息子の音楽的関心や適性に気付いていながら何もしてやれなかった躁鬱の父は、家を出る時に自分に出来る最大の置き土産を残していった。使い古したアップライト・ピアノとアクースティック・ギターである。嫌いな父が置いていった、好きな父の楽器。〈UPTIGHT〉のように悩んだ7歳のプリンス少年はしばらくしたのち答えを出し、そのピアノとギターを猛烈に弾き始める。

『A面の〈UPTIGHT〉だけじゃなく、B面も擦り切れたのでは?』と僕は尋ねた。その時のプリンスの「きたか」という複雑な笑みが忘れられない。『イエス。でもどうやって調べたんだい。メディアで話した覚えはないけど』。彼の出発を後押しした〈UPTIGHT〉のB面は、彼の運命を後押しした。そのB面曲の題名は〈PURPLE RAIN DROPS〉だったのだ。

『メディアで調べたんじゃなく、勘です』と僕は答えた。彼は今度は複雑ではない単純な笑顔をくれた。『勘ねえ』。思えばこの時のこの指摘が、以降の僕自身とプリンスとの距離を近づけるのに役立ったかもしれない。『誰にも喋ってないけれど、アルバム『PURPLE RAIN』はシングル盤〈UPTIGHT〉の両面の拡大版なんだ。無論それのみってわけじゃないけどね。アルバム1曲目の〈LET'S GO CRAZY〉の中に〈UPTIGHT〉があり、最終曲〈PURPLE RAIN〉の中に〈PURPLE RAIN DROPS〉があるんだ。楽曲的以上に精神的、個人史的に』。

〈PURPLE RAIN DROPS〉は〈UPTIGHT〉に比べると楽曲としては垢抜けしない、地味なスロー・ソウルだ。『〈UPTIGHT〉のようなシャウト曲と〈PURPLE RAIN DROPS〉のようなバラッドを、180度違う唱法とアプローチで歌うスティーヴィーに驚いたよ。もしかしてスティーヴィー・ワンダーって2人いるんじゃないかって』。プリンスの言う通り、スティーヴィー・ワンダーは2人いた。ちょうどその時期、スティーヴィーは声変わりに差し掛かっていたのだ。『それと「つかみ」の歌詞が好きだった』。その「つかみ」はこうである ―― 「紫の雨粒が / 花を / 紫で染めていくよ」。それは好きな彼女に会えない日の歌い手の心模様の美的描写として、簡素で奥深い。「紫の雨粒」は彼女に会えなくて涙する自分、情熱の赤と孤独の青が入り混じった紫。その紫の涙が「花」である彼女に降り注ぐ。彼女と会っていなくてもだ。

プリンスの〈PURPLE RAIN〉にも、同じ情熱の赤と孤独の青があった。1983年8月3日。今や「プリンスの第2のホーム」として知られるミネアポリスのライヴハウス、ファースト・アヴェニュー。その日は地元ミネソタ・ダンス・シアターの財政難へのチャリティ支援のライヴが予定されていた。約1400人のチケットはソールドアウト。ここでプリンスは、前年82年の一大出世作&一大傑作曲〈LITTLE RED CORVETTE〉(この曲が全米トップ10に初めて食い込み、ファンと批評家の両方の絶賛を得たことが、プリンスに『PURPLE RAIN』を作る自由とスペースをもたらした) でガリガリっと鳴る印象的なソロを弾いていたギタリスト、デズ・ディッカーソン (そのソロはプリンスがレコード上で他人に譲った最初の、最上のギター・ソロでもある) のソロキャリア転向を祝った後の後任に、80年途中から既にメンバーだった信頼厚いキーボード奏者リサ・コールマンの紹介で、女性ギタリストのウェンディ・メルヴォワンを舞台初登場させる。今後のどんなロックの教科書にも登場するであろう「プリンス&ザ・レヴォリューション」の公式誕生日である。

そのチャリティ・ライヴでプリンスとレヴォリューションは12曲を演奏した。半分の6曲が未発表の新曲で、うち5曲が翌年のモンスター・アルバム『PURPLE RAIN』の収録曲となり、かつその5曲の内の3曲〈I WOULD DIE 4 U〉〈BABY I'M A STAR〉〈PURPLE RAIN〉が公式発売ヴァージョンの原形、母体として使われた。このうち〈PURPLE RAIN〉がライヴ時の音源を最もストレートにそのまま使っていた。彼らは1800万人が熱狂したアルバム『PURPLE RAIN』の10ヶ月前に、1400人を熱狂させた『PURPLE RAIN』の半分を既にライヴでやり、それを収録していたのだ。世界の人々が今日よく知る〈PURPLE RAIN〉は「90%現実のドキュメンタリー」だった。残りの10%は細かな音の調整と付加、前半のギター導入部と中盤の歌詞のカットである。そのカットされた歌詞はこんな具合だった。「君のお金が欲しいんじゃない / それを言えば / 君の愛ですら / 欲しくはないよ / どちらかを取れと言われたら / 僕はお金の方を取る / そんなのより / もっとヘヴィーなものが欲しいんだ」。『当初その歌詞は「包み隠しのない、相手に対する心からの誠実」を表現していたんだけど、映画化が決まったこともあって、それをそのまま曲に挟むとエモーショナルな力が現実的要素によって薄められてしまうと思ってね』。

エモーショナルな力はしかし、現実的要素を統治制御もする。彼の代表曲は過去のポップの楽曲に向けられた未来へのオマージュである。〈KISS〉はジェームズ・ブラウンの〈PAPA'S GOT A BRAND NEW BAG〉、〈WHEN YOU WERE MINE〉はビートルズ〈I'M LOOKING THROUGH YOU〉、〈I WANNA BE YOUR LOVER〉はブラザーズ・ジョンソン〈STRAWBERRY LETTER #23〉、〈CREAM〉はT・レックス〈GET IT ON〉、〈ADORE〉はオハイオ・プレイヤーズ〈HONEY〉、〈WHEN DOVES CRY〉はデヴィッド・ボウイ〈ASHES TO ASHES〉の絶妙なリライトだ。プリンスの特異さは、どれが出典だったのかを徹底して捜索不能にする内部取り込みの複雑さ、リソースの迷路にある。インターポール手配の稀代の華麗なる証拠隠滅犯、それがプリンスの別名だ。ただのかっぱらいとは断じて言わせないという引用者=参照者の美学。その美学が彼本来の才能と結びついて未知未聴の新化学を生み出す過程が、プリンスの音楽歴のひとつの底流である。元ネタがばれたらどうしよう的なコソ泥連中が大挙結集しても到底叶わぬほどに、彼は超特級の愉快犯でもある。その手腕は一から全てを作る力と才あってこその愛ある証拠隠滅であり、彼の楽曲は「さてどこまで解けるかな」というリスナーの聴覚への知的な挑戦状でもあるのだ。それは拝借よりも継承として、リユースよりもインスパイアとして、数分間のリスペクトな仕掛け、組織音の友好のいたずらとして聴こえる。その華麗な美学は、そう聴こえる文脈でしか遺産を相続しない。

パープル・ラウンジでのインタビューで『座右の銘のようなものは?』と尋ねると、シルクの黒の上下に紫のバスケット・シューズを履いたプリンスは『人生格言みたいなものはないけど、特別に気に入っている歌詞があるんだ』。I'm a lonely painter / I live in a box of paints ―― 僕は孤独な絵描き / 絵画だらけの箱住まいさ ―― 彼が生涯ずっと敬愛したジョニ・ミッチェルの1971年アルバム『BLUE』からの〈A CASE OF YOU〉(ワンケース分のあなた) の一節だ。『簡潔だけど深い言葉で説明していた。何をって、僕自身を』。彼の生涯をある意味で生涯規定したこの曲のプリンス版が2002年のピアノ弾き語り作『ONE NITE ALONE...』と2007年のジョニ・ミッチェルへのトリビュート・オムニバス・アルバム『A TRIBUTE TO JONI MITCHELL』で聴ける。

彼はその版でジョニ・ミッチェルの原曲の1コーラス目をカットして、座右の銘だった「僕は孤独な絵描き」の2コーラス目から始めている。続いて歌われる「悪魔に怯える僕は / そんなの気にしない君に / 惹かれてしまう」。「惹かれてしまう」のところでプリンスの声はそれまでの美しいファルセットと本来の地声とが混ざり合い、地声の方へと優雅にシフトする。その一瞬を耳にするたび、その圧倒的な美と個と孤の前に、膝から崩れ落ちそうになる。1つの楽曲は、どこまで人を運べるのだろう。人はそれを、どこまで自分自身と一緒に連れていけるのだろうか。多くが今日と一致していく見慣れた明日を生きつつ、心の一部で刻まれ続けるゼロへの不正確なカウントダウンの音量を雑に上下しながら、僕たちは自分の五感を捉えたその音楽と、最後にどんな決着をつけられるのだろう。それは、ほとばしる「グッバイ」なのか。プリンス版の〈A CASE OF YOU〉は、ほとばしる「サンキュー」だと告げていた。あの遠いパープル・レイン初演の1983年8月3日、プリンスは生まれたばかりの豪華絢爛な自分の新曲に混じって、ひっそりこの曲を演奏してもいたのだ。

それは耳にした人に「あぁ」と独り言を言わせるもの、その心に井戸を掘らせる2分36秒の短く美しい演奏だった。「愛とは / 手を伸ばして / 魂に触れようとすること」。1800万枚の巨塔アルバム『PURPLE RAIN』の行方をまだ知らぬ前年1983年8月のプリンスは、その曲を聴衆にではなく自分自身に、昨日までの自分史に向けて歌っていたのだ。真に美を放つものは、実際にはすべて魂に触れる。触れようとする。愛とは美の全ヴァージョンである。比喩としてそうだというだけでなく、その美は「魂だって?じゃ見せてよそれ」と答える我々の秘境を予告なしに貫く。人間は魂を強烈に拒絶しながら、一方ではその魂を強烈に欲する、美的に矛盾した存在なのだ。両者の攻防が人の生の風景なのだとしたら、人は涙を流す時、その涙の意味と価値の測量現場に立ち会ってもいる。自分の内なる秘境=村上春樹が書いた「僕たちの心に掘られた井戸」が招き入れる驚きと笑みと涙と頷き、それこそが人々を「いま自分は息をして生きているのだ」と測らせるのだろうか。

この〈A CASE OF YOU〉には番外編、エクストラがある。『RIVER : THE JONI LETTERS』の日本盤と米アマゾン盤のみに収録されているハービー・ハンコックとウェイン・ショーターのインスト版だ。発売の2007年に僕はプリンスにこの曲を添えた一言のメールを送った。DID YOU HEAR THIS ? (これ聴いた?) 。1週間後に彼は返事をくれた ―― I DID, I LOVE IT ! 。続いて一行が添えてあった ―― A FRIEND YOU NEVER MEET CAN BE THE FRIEND YOU WANT MOST (会ったこともない友人 [=つまり音楽] こそ、その人の友)。プリンスにはそんな友が無数にいた。僕たちには何人いたのだろう。メロディやコードを弾くことを止め、ただギターのネックの突起=フレットにタッチするのみのギター、金色の金属の小銀河に自分の空気のみを送り続ける、特定の音を発しないため息のようなショーターのサックス。ハンコックとショーターの組み合わせは何度もあったが、この〈A CASE OF YOU〉の後半部のような組み合わせは聴いたことがない。それは儚さの1つのファイナルアンサー、極致である。遠く離れた見知らぬ人間からの思いがけない音の細動として、その瞬間は聴く者の井戸の小銀河を、静かに貫く。

プリンスの小銀河の中には常に、ギリシャ神話上の二元論的概念であるアポロンとディオニュソスが同居していた。整った切り身を献上する合理と実際のスタティックな官吏アポロン、切り身を分離、濃縮しようとする変幻と脱衣のダイナミックな化身ディオニュソス。日本でよく引用されるアポロンとディオニュソスは互いが互いの半円極、逃れるべき反転として登場している場合が多いのだが、これは発端のギリシャ神話の原型のみを扱ったニーチェを過剰参照したことによる一種の日本の癖、伝統弊害でもあり、世界的にみたギリシャ神話以降のアポロンとディオニュソスは、主として芸術創造の分野でくっついたり離れたりを適宜試み、その芸術や創造の源泉の説明と理解に寄与してきている。プリンスの特異点は、その適宜試行が全くの自力の操作意志によって実施されていたことだ。1987年の『SIGN 'O' THE TIMES』までのプリンスは、自身の中のアポロンとディオニュソスが彼の音楽上で折々に顔を出したのではなく、そのアポロンとディオニュソスを自分の中に飼っていた。餌付けして手なずけ、愛情を注ぎ、「互いのいいとこ取り」を彼自身の希少な才覚が持ち出す驚くべき多様性や多義性に、自在にシンクロさせていたのだ。

〈KISS〉がディオニュソス的な裸体の切り絵であるのに対し、同じスケールを一部流用した〈CREAM〉はアポロン的な多層の塗り絵だった。どちらが良くてどちらが優れているのかという話ではない。1人の人間がその両方を有していたという話なのだ。ローリング・ストーンズの1978年傑作『SOME GIRLS』の「音作り?プロデュース?そんなの糞くらえ」的な換骨奪胎主義を黒いパンクとファンクとポップとソウルに同時昇華させた1980年の『DIRTY MIND』を序章的前段として、82年『1999』から84年の署名捺印アルバム『PURPLE RAIN』を経て85年『AROUND THE WORLD IN A DAY』、86年『PARADE』と続く作品群は「孤独な絵描き」プリンスにとって、絵画のキャンバスそれ自体がそもそも、意匠と異彩を放つ純正の切り絵だった。それらのアルバムは、絵を描く以前の空白の下地そのものが固有の審美造形を既に組織し、その組織の結合が新しすぎる幾何学と新しすぎない舞台設定を、「プリンスというポピュラーな異化作用」を宣言していたのだ。

その宣言の下地には奥行を伴った不思議な基調色が付随していた。パノラマ展開される『PURPLE RAIN』のステンドグラスの赤と青=紫、聴くたびに音の焦点が移動する『AROUND THE WORLD IN A DAY』の万華鏡型極彩色ポスター・カラー、煮沸濾過精製された『PARADE』の滝と清流の白と灰と銀。3枚には共通して、ある色が欠けていた。金色。その金色こそが当時のバブリーな80年代世界と80年代音楽が必死で身にまとった色である。プリンスは自分の音の絵の具箱から、意図的にその金色を排除していたのだ。その3枚の多くの部分が今も、時の流れに無関係な不朽の装飾画に、時の流れをむしろ歓迎し、自らに吸収していく年代不詳の祭壇画に聴こえるのはそのためである。1987年の『SIGN 'O' THE TIMES』でただ一度、変則的に四角いキャンバスに16枚の異なる切り絵を直接貼り付けた後、以降のプリンスのキャンバスは原則として固定された汎用タイプの四角になり、切り絵の代わりに金色を含んだ塗り絵による濃淡のバリエーションが、時々の例外を挟んで続いていく。人間の尋常ならざる才能は、その才能を生んだ尋常なる生命が尽きて初めて、その生命全体が意味しようとしたものに追いつくことを許されるのだろうか。

その尋常ならざる才能の一端が1985年3月30日のニューヨーク州シラキュースでのライヴに聴き取れた。いつものようにフィナーレとして最後に演奏された15分超の長尺の〈PURPLE RAIN〉。レコード版と同様に、それはまず感傷を唱えるのだが、この版は僕たちの熟知しているはずの手垢にまみれた感傷とは、おそらく根本的に異なるものだった。人間として生まれた我々全員が共有している心と脳の不可避のシステム=生を生きる喜び、生が去る哀しみ、自分を探せぬ苛立ち、自分を見つけた充足。展開される長いソロは「生=LIVE」のあらゆる目録と辞書をスキャンして通り抜け始める。そこで聴けるギターは、人々の知らない新種の感傷であったのだ。LET ME GUIDE YOU TO THE PURPLE RAIN ―― 紫の雨にどうか打たれてほしい ―― 人々はプリンスの誠実な招きに従い、自分自身の実人生上に訪れた喜び、哀しみ、苛立ち、充足を、訪れるはずだったそれらを、訪れずじまいだったそれらを、訪れ過ぎたそれらを、そのソロの中にもう一度探しに行った。

それは世界にその名を轟かせるスーパースターが聴き手に差し出した右手、自筆のハガキとして機能した。僕は尋ねた。『このソロの全部は、人の一生を描いたものではないのか』。『そうかもしれない。分からない。あの瞬間、感覚的には自分は「プリンス」じゃなかった。観客が、君たちがプリンスだったよ。最後の最後に前が見えなくなり、いつもは必ずしていた演奏後のひと言を言うためにステージに戻って来られなかった。パープル・レインはあの夜、皆から終の棲み家を受け取った』。

次第に笑わなくなっていく真剣なウェンディの最初の3分12秒間のギター序奏、一打一打を四方八方にエコーさせ、聴く者の半生に刻み続けるボビー・Zのドラムスの審判の単打、お約束とは異質に生じた聴衆の、大き過ぎず、浮かれ過ぎもしないコーラスの暗唱に囲まれて、3分13秒からのプリンスのソロは人間のささやかな道のりを静かに辿る ―― 誕生とよちよち歩き、成長と創始、自我の目覚めと追求、しくじりとつまづき、相違と空白、反抗と孤立…。プリンスはそれらを、他には類例がない切り詰めた自前のフレージングで弾き始める。デュエイン・オールマンの〈LOAN ME A DIME〉、ジミー・ペイジの〈STAIRWAY TO HEAVEN〉、エディ・ヘイゼルの〈MAGGOT BRAIN〉、エリック・クラプトンの〈LAYLA〉…。歴史に残る長尺ギターの名演奏はしかし、どれもがロック領域内におけるブルーズという特定の音楽形式に則ったジャンル内の特上ソロだった。プリンスはその制約から抜け出した。ここでの彼のギターは必然の偶然に、意識外の自動筆記に、凝縮された天の配剤のように聴こえる。「自分はプリンスじゃなかった」と彼が言ったのは、多分そのことだ。いずれにせよ、この広い世界の中でそのフレーズを弾ける人間は彼1人だった。そのあとプリンスはステージから消える。そして新しいギターを手にして戻った5分18秒、放たれた1つのロングトーンは彼のステージ行動と同一に人間の空白と孤立からの復帰を、擬自己から原自己への目覚めを描きながら、人間の中盤と後半を突き進む。

10分の手前で彼が祈念のように叫ぶ、この夜限りの It's gonna be alright ! / It says it's gonna be alright ! (大丈夫! / きっと大丈夫!) 。それは聴く者の心に支柱を、太陽を加える。きっと大丈夫なのだ。自分は自分のままで。あなたはあなたのままで。最後の数分間、その〈PURPLE RAIN〉は凄まじい変化と伝達を伴って聴く者の肉の存在を揺さぶり、ふるい落とし、そうした後で肉の存在を抱き留める。プリンスは短いフレーズを少しずつずらして往復させ、直後の長いノートの中へと次々に溶け込ませる。ステージにセットされた階段を天国への階段のように駆け上がりながらてっぺんで弾き続け、人の生の頂を暗示し、階段を同じ速度で下りながら今度は注意して聴かなければ判別できない低く分厚いトーンを人の晩景の伴奏者として、その残照の伴走者として奏でる。それは1人の人間のトランス、生き急ぎである。

考えうる適切な反応として、目を閉じる以外の何があるのだろう。いま感じている事の全てをそっくりそのまま憶えていようと決意しながら、次の瞬間からその記憶保全は1秒ごとに完全から遠ざかる。次々に湧き上がる感銘の無限の出現、それに追いつけない記憶の有限の敗北、ふたつに圧倒され、圧倒の残響を追いかける。このソロの旅路に、抱擁に、投げかけに匹敵するものがない。正式に発売された〈PURPLE RAIN〉からこぼれたもの、抜け落ちたもの、除外されたものが、「生=LIVE」の最新の定義のように、このシラキュース版の中に充満している。与えられた日々を否応なく半自動に消費していくやくざな僕たちの心の中で、やくざではない結晶に向かって19分27秒の戯曲は雄々しく前進を続ける。そのヴァージョンは聴く者に一個の平凡なただの人間として、いつか生を去る生として、日々の慰安と摩耗の中で見つけた半自動ではなく、ゼロからの完全なる手動で耳を傾けてもらえないかと懇願していた。それはプリンス自身の、早すぎた走馬燈だったのだ。

この公演を収録した公式VHSとレーザー・ディスク (ともにアナログ映像) はずっと廃版で、その後一切の商品化はされておらず、本公演のデジタル映像は2016年7月の時点ではまだ存在しない 【注1】。デジタル音源はプリンスに愛情と理解を寄せる有名なブート・レーベルのサボタージュその他が比較的高音質で出してきていたが現在は廃盤、ほぼ同等の音質で彼の死後に新興レーベルのスモーキンが出した2枚組CD『PURPLE REIGN IN NEW YORK』がアマゾン他で現在入手可能である。シラキュース版の1985年3月30日の〈PURPLE RAIN〉は、人々の多くがその範疇に絡め取られてどうすることも出来ずにいた人生における複雑な感傷を、他には還元も代行もされようのない唯美の磁場に転じた。僕たちが欲望を持ち、喜怒哀楽を持ち、魂を拒絶し、魂を求める平凡なただの人間であり続ける限りにおいてである。今日、あるいは長きにわたる今後、人々がプリンスの事を話す時、パープル・レインの事を話す時、このシラキュース版は正式発売された人々の良く知る有名なレコード版ほどには世の中の会話に登場しないことだろう。けれども彼の、生涯ただ1度の稀な、劇的な軌跡を描いたこのヴァージョンを受け取ってこそ、僕たちの中にあるプリンス物語、僕たちの中にある僕たち自身の物語は、本当に、実際に語り始める。

あのパープル・ラウンジの夕方、彼は淹れたての熱いフォートナム&メイソンの紫色のティーバッグのダージリンを、まるで普通の、特別な才能なんか何もない小市民のように普通にすすって言った。『知ってるかい、音楽は音楽だ』。1篇の楽曲、1編のポップソングに対し、人はさして多くを望めない、多くを求めるべきではないのだという意味だ。僕は自分の信念に従い、または何とか話を引き出そうと抵抗した。『個人的にはそれは違うと思う。自分は音楽に多くを受け取ってきたし、多くの恩義を感じてもいるけど』。プリンスはもう一口ダージリンを追加し、それを五臓の隅々に行き渡らせるように喉の入り口を大げさにきゅっと締め、そのあとでおそらく彼としては最大の、素の笑みを口元に浮かべて言った ―― ME, NEITHER ―― ぼくも。

今、自室では〈LOVE THEME FROM PURPLE RAIN〉が鳴っている。〈PURPLE RAIN〉の12インチ・シングル英国盤のみに収録されていた、これまでCD化されたことのない1人多重録音のインスト曲だ 【注2】。マイルス・デイヴィスの〈FLAMENCO SKETCHES〉、セロニアス・モンクの〈NUTTY〉、サンタナの〈EUROPA〉、ジェリー・ゴールドスミスの映画サントラ曲〈LOVE THEME FROM CHINATOWN〉、それにプリンス自身の〈GOD〉を流麗に織り込んだ7分58秒のこの美しきソリテアー (独り遊び) を、一ファンの墓碑銘として彼の墓前に捧げよう。プリンスの生涯は、まさにその美しきソリテアーだった。デビュー以来38年間、40種類を越える楽器を独りで演奏し続け、その最初から最期まで、1度も人にプロデュースを任さなかった唯一の巨大主流マルチ・アーティスト。そのアーティストは、人が音楽から受け取れる事柄のすべてを1人で引き受けようとした。こんな個人はもう現れないことだろう。その失敗さえもが「彼も人間だったんだ」としみじみ思え、その成功にあらためて聴き手としての自分の胸に手を当て、その胸を午前3時に自分で抱きしめたくなるような対象は、僕たちの前にもう登場しないことだろう。

翻って人間が自らの可能性と限界に直面し、そこから一筋の理由と安らぎを見つけ、自分たちの生自身に静かに語りかける日は、まだやって来ないことだろう。人間が世の中を叱るとともに世の中が人間を叱咤し、鼓舞し、助け、まとめ、自然の優美と威厳、人為の冷酷と調和しながら人々が理解と連帯をもって共に歩む日は、まだ訪れないことだろう。この原稿が書き上がった日は、ちょうどイギリスのEU離脱が投票で決した日だった。その僅差と誤算が英国とEUの未来像を、絵画の背景のように今は映している。そして僕たちは今も飽きもせず、その未完と未達の時代の只中に生きている。けれどもそれでも僕たちは、決して繰り返されない絵画の前景を生きてもいたのだ。「サンキュー」、プリンス・ロジャーズ・ネルソン。グッバイ。これから会うときは、たくさんの既発表曲・たくさんの未発表曲のどこかに残された、面と向かっては見せない、その素の笑みのどこかで。僕たちの井戸に映る真水は、そこに無邪気に舞い降りる鳥の翼は、明日は色鮮やかな紫かもしれない。

中野利樹 (TOSH NAKANO)🍀


【注1】 : 2017年6月23日全世界同時発売の『PURPLE RAIN』デラックス版(3CD+1DVD) で初めてDVD映像として収録された。

【注2】 : 2017年6月23日全世界同時発売の『PURPLE RAIN』デラックス版(3CD+1DVD) で初めてCD音源として収録された。

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