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ヴァンクーヴァーの5人の男たちに女性1名を加えたカナダの6人組、ニュー・ポルノグラファーズ(NEW PORNOGRAPHERS) の『MASS ROMANTIC』は、どうしてこうも活力に満ちているのか。その41分間の全12曲は「音楽を奏でる」という初期衝動的喜びと楽しさで充満している。しかしその衝動は過剰なもの、過激なものではない。彼らの年齢は、そんなに若くはないからだ。

音楽の発見と歌唱演奏の歓びに包まれた『MASS ROMANTIC』の至福サウンドの素になっているものは、いま流通・機能している一般的なポップ・フィールドのサークルの中には見出せない。そのはずむ至福は、一種の異端である。明るい異端だ。6人のメンバーの全員が、ビートルズ式に曲ごとにヴォーカルを分け合うこのアルバムは「ほら、ぼくたちって異端でしょ」と言っているようなものだ。『MASS ROMANTIC』の真髄はおもに現代のポップ・フィールド内ではなく、ひと昔前の (ふた昔? それとも三昔?) 過ぎ去りしフィールド上にある。

スティーヴ・マリオット(STEVE MARRIOTT) をこだわりと囚われの頭脳とする60年代中・後期イギリスのバンド、スモール・フェイセズ(SMALL FACES) は、今ではもっぱら「伝説の」という枕詞を付けて語られる存在になっている。つまりすっかり忘れ去られているということなのだが、彼らほど母国とアメリカとの間での人気格差・評価格差からくる傷心を味わったバンドも他になかった。スモール・フェイセズはアメリカでは、ほとんど無視されたからだ。しかし、無視され忘れ去られるにはあまりにも魅力ある音楽を、彼らはその時作っていた。<LOVER'S CONCERTO>の素敵な変奏である<MY MIND'S EYE>の誠実、<ITCHYCOO PARK>で聴ける「サマー・オヴ・ラヴ」の良心、<HERE COMES THE NICE>の透き通る陽気と真っ青な大空を思わせる澄み渡ったヴィジョンは、いまも全く色褪せていない。

ビートルズの『サージェント・ペパー』、ストーンズの『サタニック・マジェスティー』のあとを追うように出た『OGDEN'S NUT GONE FLAKE』は、都合4つのレコーディング・スタジオで別々に録音・調整され制作に5ヶ月以上を費やした労作だったが、母国イギリスでこそ2ヶ月近くNo.1に立ち賞賛されながら、またもアメリカに嫌われてしまう。その音楽に、嫌われる正当な理由はどこにもなかった。ケニー・ジョーンズの烈風ドラミングとマリオットのリード・ギターがバリバリと裂ける<SONG OF A BAKER>、ハード・ロックとしてのフォーク・ミュージックである<MAD JOHN>、前半はイアン・マクラガンのピアノが快調にスウィングし後半はブルース・ハープがキーキーと鳴る変則的な<RENE>、シンガーとしてのマリオットの最高峰である<AFTERGLOW>など。

『OGDEN'S』で彼らは従来よりもハードなサウンド・アプローチを試みたのだが、おそらくそれがアメリカではザ・フーの二番煎じと受け取られた。当時のプロデューサーだったストーンズで名うての策士アンドリュー・オールダムの独断でシングル・カットされチャート2位になった<LAZY SUNDAY>が、実はアルバム中最も出来の悪い曲であったこと、そもそもその曲のアルバム収録自体にマリオットらが反対していたこと (<LAZY SUNDAY>はもともと、真剣なレコーディングの合間の骨休め的悪ふざけだった) などが重なり、マリオットはピーター・フランプトン(PETER FRAMPTON) と新たなバンド、HUMBLE PIE(ハンブル・パイ) へ向かい、残されたスモール・フェイセズはマリオットの代役に、当時ほとんど無名だったサッカー・フリークを引き当てる。ロッド・スチュアート(ROD STEWART) である。歴史がつくられたのだ。

スモール・フェイセズのこれといった音楽には歳月を無意味なもの、無関係なものにしてしまう作用が、何よりその音楽にオリジナルの時間を刻ませてしまうという一種のタイム・マジックが存在していた。その万華鏡的時間感覚と大きく澄んだ陽的なヴィジョン、その2つが 『MASS ROMANTIC』を特徴づけ、他の多くのポップ作品とは違うと思わせる要因である。『MASS ROMANTIC』の中にスモール・フェイセズの<HERE COMES THE NICE>が<GET YOURSELF TOGETHER>が、<SHA-LA-LA-LA-LEE>が宿っている。

ニュー・ポルノグラファーズのこの古くて新しい音楽では、ギターはあまり目立たない。とにかく、印象に残るようなギター・ソロなどはない。そういう面での聴感上のカタルシスは別なバンドに求めるとして、ここではそんなカタルシスが不要になるくらいの圧倒的な「メガ・ヴォーカル・ワーク」(ビートルズ式シェア・ヴォーカルの見事さだけでなく、ビーチ・ボーイズの超高度なコーラス割りをよりアクティヴに、よりモダンに柔軟にした感じの自由自在なヴォイス・コントロールを含む) とでも言うべきノドの分厚い軽業の数々に聞き惚れよう。<LETTER FROM AN OCCUPANT>でリードをつとめる紅一点のニコ・ケイスは澄んだ大空に燦々と輝く太陽であり、まわりのサポート・コーラスは (「フウーウ / ウー / ウーイウーッー!」) そのサンシャインに温かく照らされる小鳥の群れ、快調にさえずるヒバリとツグミである。

声だけではない。決して駆け出しでない確かな演奏力とアンサンブル構成の豊かさと意外性、あるときはチカチカ光る7色のペンライトとして、あるときはピーピーと鳴る7音階の電子アラームとして曲を支える、いったい何層あるのか数えても分からない、多彩なキーボード系の優雅なアレンジメントは見事というしかない。MASS ROMANTIC ―― 『MASS ROMANTIC』の内側では、それはポップ・ミュージックの自然なる大衆伝達を ――、1つの曲が時間を超え場所を越え、国境を越え言語を超えてラジオの電波に乗り、店頭の棚に並べられ、人々の噂の会話に乗り、やがてみんなのものになる様を意味する。オープニングの表題曲からハイライトともいうべき<LETTER FROM AN OCCUPANT>を経て、平和への自然なる祈りである終曲<BREAKIN' THE LAW>に至るまで、このアルバムに生じる6人の歌声と6つの楽器が織り成す全ての音に、オリジナルな生命がある。

それは<HERE COMES THE NICE>と同じく時を、場所を超え、無関係にし、ぼくら1人1人の頭の中にある偏ったリスニング・フィールドを、一度きれいにクリーニングしてくれるものだ。正確には2000年の終わりに発売されていた『MASS ROMANTIC』は、この時期の恒例行事である各種音楽誌の年間ベストの上位に軒並みエントリーしていた。ただし、ほとんどが2001年の対象としてである。マス・ロマンティックの自然なる大衆伝達は、まるまる1年かかったことになる。そこに聞こえる活気と至福はしかしこれから先も、時と場所とを超えるヴィジョンを陽気に呈し続けるはずだ。

中野利樹 (TOSH NAKANO)♠

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