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macy_gray
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2000年の春の終わりに、半ば腐りかけて久しい全米のポップ・チャート上で、素晴らしい出来事が起きていた。ひとたび耳にすれば忘れることのない1つの声が ―― 力強さであると同時にかよわさでもあり、心許ない小さな囁きでもあれば大きな必死の叫びでもある1つの声が、静かに、足元確かにビルボードのトップ40を駆け上がっていた。その声はまるで完全なるピュアネスから作られているかのように聴こえ、そのピュアネスは、人が足を踏み入れたことのない小川の水の如く光った。顔を近づけた水面には微笑と涙が同時に映り込み、すくい上げるとその水は、少し温かかった。ぬくもりがあったのだ。顔を上げて全体を見渡すと水面の輝きは眩く、その場所は周囲から取り残されて時代錯誤的であり、人は初めは、それを正視できなかった。あるいはそもそも、誰も始めから正視などしなかった。

やがてその1つの声に耳を傾ける者は、世界に日一日と増えていき、人々はその声を心に留め、記憶に固定させ、その声が伝えんとしたことについて考え始めた。その比類なきソウル・バラッドが歌詞の中身と無関係に伝えていたのは「この声と音楽とが時代錯誤に聞こえるのは、今のこの時代こそがまさに錯誤的であるから」ということだったかもしれない。そう考えることは、人々を空虚な気持ちにさせた。しかしポップの領域においては、それは同程度に不可思議な喜びの気持ちでもあった。日々を普通にやり過ごしていたなら自分が信じることはなかったもの、それを信じることになったという喜びである。その喜びは、当の音楽自体と同様に、聴く者に笑顔を残したまま涙を流させた。素晴らしい出来事の中身はそれだったのだ。

今言ったことのすべてが、メイシー・グレイ(MACY GRAY) の<I TRY>で2000年に実際に起きたことであり、それは今日もまだ同じように起きる。この強烈に心震わせる時代遅れのソウル曲は、何の前触れもなく突然現れた彼女の画期的なデビュー・アルバム『ON HOW LIFE IS』(人生のありようについて) からの2枚目のシングル・カットだったのだが、時が経つに連れ、それ以上のものになっていった。

「戯れと変化と怖れ / それはいつ / ここを旅立つのだろう」「そして / 終わるのはいつ?」。<I TRY>で彼女は、それまで1度も知ることがなかった真理を知り、間違っても受け入れることなどないと思っていた別離を受け入れる。「私たち / 一緒にいるのが / 本当はいいんだと思う」「でも現実は / そうじゃない」。その We are not の not を歌うグレイの声は、まるでそれが not でないかのように、あたかも是認であるかのように聞こえる。そう聞こえるように歌ってみせることでこれは not じゃないんだ、と言い聞かせているように聞こえる。過去のどんな自分よりもつらい、今の自分にである。

そういう具合にでも歌わなければ、彼女にとってその否定、その別れは、精一杯頑張ったから乗り越えられるという種類のものではないのだということが聴く者には伝わる。その not が彼女と聴き手との間に横たわっている距離を、通常のアーティストとファンとの距離を超えて、一瞬の間に縮める。それは彼女が単に歌を歌っているのではないと知ることであり、したがって聴き手は、単に歌を聴いているわけではなくなる。聴いているのは1つの不可避である。どんな人間にも訪れる可能性をもった不可避、どんな人間にも、克服出来得るとは断言できない不可避: 運命。その運命を、人は彼女の声に聴き取る。その声に、まぎれもない運命を見出す。

あの遠い5月の半ば、腐りかけて久しい全米トップ10の真ん中へと<I TRY>が上昇した時、そのメイシー・グレイの運命は解き放たれ、歴史は作られた。「運命が / 私たちを / ここへと運びこんだ」と歌うときに彼女が抱えた別れの運命は、それを聴く者たちにとっては、その日から自分たちに授けられた思いがけない出会いの運命でもあるということを同時に、ささやかに意味するようになったのだ。<I TRY>は実に久方ぶりにヒット・チャートの閉所恐怖的限界を打ち破り、そこで語られ、経験され、乗り越えられようとする32才の当時無名の新人黒人女性歌手の運命は、至る所でそれぞれのスピーカーのコーン紙を蹴破り、外の現実世界へと、駆け出していった。

「さよならを言おうと / がんばる / 息が止まってしまいそう」「歩き去ろうと / してみる / よろけてしまいそう」。曲の中心となるコーラス部分であるそのたった2つのラインが、微笑と涙とで聴く者を粉々にし、そしてそのライン自体も粉々になる。何が微笑みであり、何が涙であるのかの区別が分からなくなる。その地点までコーラスは進んでいく。そして、そこでさらに砕け散る ――「隠し通そうと / がんばっても / わかってしまう」「あなたがいないなら / わたしの世界は / 崩れて落ちる」。

こちらの心も、崩れて落ちる。数だけは沢山いるのに誰一人として自分に気づいてはくれない冷たい雑踏の中をさまよい上下するメロディー、そのメロディーに立ち向かい、かなわず壊れ、フレーズごとに崩れるヴォーカル。バックの演奏は、その冷たい雑踏のように聞こえる。それらすべてが一度にこちらに押し寄せ、あまりに多くの感情があまりに豊かな音楽にぶつかり続け、何が何だか分からない。じっと耳を傾ける以外に何もしようがない。それを「THE SOUL SONG」と呼ぶ以外に、名付けようがない。

冷たい雑踏を行き交う人々の数は、曲が進むにつれて一層増えていき、グレイの息はさらに詰まり、足元はさらによろめく。「気丈に振舞うくらい / 何でもない」「あなたが行ってしまっても / 笑顔でいられる」「でも / その笑顔は / ただの表面」。けれども彼女は息継ぎをやめない。その声は、歩みを止めない。曲のクライマックスで懸命に運命と闘う彼女のヴォーカルに、さらにもう1つ多重録音された別のグレイの声が、倒れ込むようにとぎれとぎれに重なる。それは、人が歌手の歌声として心得ている声とは違う :「神様 / どうか私たちに / キスを !」。それはたちまち、雑踏にかき消される。願いは届かないのだろうか。しかし彼女は、激しくよろめくメイシー・グレイは、僕らのずっと先を行っていた :

Good-bbbyyye !  It's OKaaaaayyy !!!!

それは人の心を震わせるだけでは済まなかった。体を震わせたのだ。その叫びは人の魂を救うだろう。笑顔と涙とを、ひとつにすることだろう。それがソウルという言葉の、ソウルという音楽ジャンルの、今日失われた意味である。その叫びのあと、曲の終わりにグレイはついに、雑踏の中へと消えていく。しかし、そこに泣き言はない。依然としてそこにはただ、あの完全なるピュアネスがあるだけである。

その雑踏の冷たさが、あの小川の水のぬくもりに触れる日 ―― その日はいつか来ることだろう。しかしそれまでは今日も明日も、世の中は同じ世の中のままである。その日までは<I TRY>が、『ON HOW LIFE IS』が、傷つきよろめいた人々に歩み寄り、耳を傾け、語り返し、力づけ、寄り添い、抱きしめ続ける。微笑と涙とは、元来は明確な区別を持たない類似の、表裏同根の感情表現だったかもしれない。

中野利樹 (TOSH NAKANO)🍀

Yahoo知恵袋 ➡ http://bit.ly/2tuqM6N

Thanks to A.Slater & YKRinguine

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