「でも結局彼は自分じゃないよなあ」と感じる人は、その最短の歌は聴く必要がないだろう。もしも『逃げ恥』がアメリカHBO放送のプライム・ドラマだったなら、ここで1965年の世界的ヒット曲<What the World Needs Now Is Love>(世界は愛を求めている) の最後が流れていたことだろう。「世の中に / いま必要なのは / 愛 / 特定の誰かだけでなく / みんなへの」。なんとクサイのだろう。そうかい、わかったよというくらいの陳腐な、工夫の足りない、典型的なお道徳歌詞だ。ところがそれを歌うハスキーボイスの女性歌手ジャッキ-・デシャノンの、曲の一番最後の「みんな」=「everyone」の発され方は陳腐ではなかった。真実だったのだ。
<What the World Needs Now Is Love>は、特定の誰かを愛するのを止めてみんなを愛せ、博愛こそ愛なのだと言っていたのではなかった。「これから歌う事は人にはちゃんと伝わらない事かもしれないんだ」と歌っていたのだ。星野源の津崎平匡の「いいなあ」の末尾のかすれは、<What the World Needs Now Is Love>の末尾のかすれと同じ重みを持っていた。演技者と歌手が伝わらない事を知り、覚悟をしながらその難関を突き破ろうとする苦しみが、静かに音も立てぬ決心が、誰にも気づかれない人知れぬ決行が全く同じだったのだ。そうかいわかったよ、という多数の気楽な勝手は、人が人に、耳を、目を、何かを真剣に傾けるという気楽でない本物の包容の中に、逆転で吸い込まれる。その数分間だけは。