エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley) の<If I Can Dream>(『明日への願い』) は、1968年の彼の一か八かのカムバックを賭けた米NBCのTVスペシャルを締めくくる最後の1曲だった。そこで彼は、それまでもそれ以降もファンや世間の人々の知らないエルヴィス・プレスリーを見せた。「これがエルヴィスの声、歌い方、振る舞い方だとみんなが心得ていたもの」以外の歌い方、振る舞いをしたのだ。
<If I Can Dream>はこの時以降、彼が生涯で行った無数のステージでついに1度も歌われることのないままの曲となったのだが、しかし仮に歌われていたとしても、この日ほどに強い信念と確信、深い情熱を込めて歌われることは、やはりなかったのではないかと思う。「明るく輝く明かりが / きっとどこかに / あるはず / きっと見つけられるはず / 青空高く / 羽ばたく鳥たちを」。それは人の生涯に1度の実行を許された招魂、2度辿ることは不可能な巡礼として人前に現われた。
その音楽は当初、番組収録の3か月前にエルヴィスの故郷メンフィスで起きたマーティン・ルーサー・キング牧師の衝撃的な暗殺に刺激され、彼の有名な63年ワシントン行進時の "I HAVE A DREAM" 演説に表面上応えたものだった。アンサー・ソングとしてファンやメディアに認知、歓迎、評価される一方で、それは同時に、急速に安っぽくもなっていった。じっくり耳を傾けるよりも先に祀り上げられたがために、その音楽はその後で一気に逆に貶められてしまったのだ。
実際<If I Can Dream>は「典型的なラスヴェガス型バラッド」だった。静かに始まり、徐々に高まり、エンディングでそのピークに達して終わる。その間終始歌い手の「熱唱」を伴って。その曲に込められたメッセージは、その曲自身のあらかじめ定められた音楽形式上の限界によって、最初から音楽的演説として伝わることが不可能な構造を持たされていた。逃れがたいポップの黄金則によって、誰が歌っていようが<If I Can Dream>は、自らの中庸なるサウンドが自らの言葉を否定してしまうものだった。それは典型的・類型的な曲調を自分自身の最大の特徴とする1つのジャンル音楽、「定型音楽」だったのだ。
しかし、その日のエルヴィスの音楽はそうではなかった。1968年12月3日。人々がその名の意味するものにすっかりうんざりし、その名がかつて意味したものまでもすべて忘れ去ってしまおうとしていた時、エルヴィス・プレスリーは、自分の経歴の大部分に長く課せられてきたハリウッド的安っぽさ、無意味、虚飾、いつわり、不本意のすべてにその日、ひとり静かに挑んでいったのだった。「どうか教えてほしい / なぜこの夢は叶わないのか」。この夢 ―― それは、この世の平和と人々の理解である。PEACE AND UNDERSTANDING ―― 、その月並みな文句は、これまでに何度繰り返されたのか。これまで何度、それは笑いとばされたのか。しかし、昔も今も、それこそがむしろ人間というものである。
<If I Can Dream>は飽きもせず、何百回目かの PEACE AND UNDERSTANDING を歌った。何かが違っていた。その定型音楽は、それまでの何百回とは異なる場所から歌われていた。それはなぜか、人々が顔を知っていながらその顔が作る表情は知らなかった賢者の声を伴っていた。過去の何百回からは一度も見えなかった地点から、その夜のエルヴィスはNBCのバーバンク・スタジオに現われ、そのラスト曲のためだけの純白のダプル・ピースの上下と純白のシューズ、深紅のネクタイでそこに立ち、真っ暗なスタジオにライト1つで浮かび上がり、その最後の歌を歌った。何かが違っていたのではなかった。何もかもが違っていたのだ。
エルヴィス・プレスリーは、生まれて初めてすべてをむきだした。かなぐり捨てた。その音楽の外観を突破し、手つかずの内部に突き進み、目前の1音1小節、1語に没頭し続ける元国民的、元歴史的超人気歌手。その歌手の声に、歌い方に、体の動きにこの世の成り行きが、運命がかかっている ―― あたかもそうであるかの如く、<If I Can Dream>の純白の歌唱と切望は、人間のしたり顔と切り捨て、無理解と無関心を超越しつつも、その成り行きと運命をゆっくりと音楽化し、実人生へと運んでいった。それは身を切るような、血のにじむような、命を削るような歌唱だった。
<If I Can Dream>から10年ののち、その保存された純白の切望と叫びは、同じエルヴィスと名の付く24歳の新進イギリス人ロッカーに、異なった経路でリレーされた。エルヴィス・コステロ(Elvis Costello) の<(What's So Funny 'Bout) Peace, Love and Understanding>(=平和と愛と理解の、どこがそんなにおかしい?) もまた、ひとつの定型音楽に違いなかった。<If I Can Dream>のバラッド型とは正反対の、パンク・サウンド的定型である。その炸裂するパワー・ポップ的外観の奥でコステロは、先人エルヴィスが挑んだのと同じ命題を抱えていた: 「聞き飽きたありきたりの言葉のみで出来た歌詞を持つ歌を歌う時、人はどうするべきなのか」。その絶望的定型の前提から、三流のジョークのように周囲を顧みずただ向こう側へと盲目的に突き進むパンクなポップ=つまり人に笑われるその陳腐な音楽は始まる。
一体誰がそんなことをやりたいと思うだろう。あらかじめ届かないと分かっている音楽を、願いを、誰がわざわざ届けようとするだろうか。それがこの何百回目の平和と理解の2人のエルヴィスであり、1度限りの2つの声である。この1か月の間、<If I Can Dream>と<(What's So Funny 'Bout) Peace, Love and Understanding>の2つの対照的なポップの極が鳴り響かせた等質な平和と理解は、その1か月に耳にしたどの音楽よりもあの出来事の全体について多くを、どのメディアの記事や番組よりも実質を、静かに伝えた。この国の「がんばろう」がこの先何年もの間に奏功する一方で、人々が必要とする真の、現実のスローガンは同じくこの先何年もの間、その意味を絶えず失い続け、そこにある現実と困難とを、絶えず伝え損ね続けていくだろう。それでも我々はそのスローガンを捨て去りはしない。2人のエルヴィスの平和と理解の音楽を今、これから先耳にする人々がはっと我に返って手を叩き、そう強く確信するとしても不思議はないと思う。まことに。