曲が進んで行くにつれ、空高く遠くへ飛んで行くにつれて、ショコラのヴォーカルは二重から三重になり、そこにある夢の量も深く大きく膨らんでいく。そこには1人の人間に抱え切れないたくさんのベースボール、たくさんのエルビスがある。ドン・ヘンリー(Don Henley) が<The End of the Innocence>の中で歌った「僕らの心の1つ1つにある / 同じひとつのスモール・タウン」がその先に見える。どこでもないけれども、同じひとつの場所 ―― 。
おじいちゃんから孫までが一緒に観に行ける場所としてのベースボールは、実際には目にすることのない理想の、完全なるファミリー像を映し出す一方、スポーツの一競技形式としてのベースボールは、集団と個人とを統合し、同時に両者の性質の違いをくっきりと明らかに識別してみせる。個人は、集団にあって初めて個性たりえるのだ。それは何度も消し去られ、その度に何度も取り戻そうと闘われてきている、アメリカの究極の理想上の共通理念である、個人の完全自主独立と共同体社会との調和的共存のイメージを喚起させもする。おそらく、だからこそ最上の場合、ベースボールは野球ではあり得ないのだ。映画『Field of Dreams』(『フィールド・オブ・ドリームス』) の日本版はないのである。