Mr.Childrenのキャリア最大のヒット・シングル<Tomorrow Never Knows>は1994年の秋深まる11月に発売された。現在までの売上総数は約280万枚。My Little Loverのキャリア最大のヒット・シングル<Hello Again -昔からある場所->は翌年1995年の8月晩夏に発売された。現在までの売上総数は約180万枚。この2つの曲が当時語っていた事、現在も語っている事は現代日本の芸能音楽の歴史上ずっと特異なままだ。
<Tomorrow Never Knows>と<Hello Again -昔からある場所->は、人々を購買に向かわせると同時に、買って聴いた後の人々を不意に立ち止まらせる性質を持っていた。ある時は美的に、ある時は文字通り物理的にだ。「先を急ぐ時に敢えて立ち止まれる人間が、その後の前進をそっと手にする」とレイモンド・チャンドラーはかつて言ったが、2つのメガヒット曲は爆発的に売れ、闘技場の務めを立派に果たしながら、1992年のバブル崩壊で慌ただしく先を急ぎ始めた日本の止まらぬ人々と、止まらぬ人々の波に自動的にさらわれ、引きずられ、意に反してその波に巻き込まれてもいく人々の我々を束の間折々に静止させた。「この曲って…」「ぼくは…」「わたしは…」。
音楽を通した自己との感情対話。しかしこの作用は他の日本のポップ音楽にも数多く存在する。<Tomorrow Never Knows>と<Hello Again -昔からある場所->はその自己対話を細分化した。自分自身 ―― 通常は4文字1セットであるこの語句を「自分」と「自身」とに分割したのだ。
<Tomorrow Never Knows>は自分を自身に、不可避を虚脱に、虚脱を脱出に変えようと苦闘する一個人の私的で詩的な独白として始まる。この曲のイントロは短いながらもくっきりとして滑らかな、切れ目のない2段構成になっており、開始18秒までの鉄琴とピアノのメロが『この曲はあなたが思っているような曲ではありません』とまず告げる。その鉄琴の音色は学芸会で必死に練習の成果を披露する小学生のように、どこかつたなく、懸命で、尊い。主人公の遠い童心が聴こえるかもしれない。その18秒は聴く者すべての頭上の、雑踏のオルゴールである。
始まりは小さな、つたない18秒だった<Tomorrow Never Knows>のオルゴールはやがて2分になり、3分になり、この曲の印象的なPVで桜井和寿が踏みしめるオーストラリア グレート・オーシャン・ロードの360度の断崖絶壁にたどり着く。それからその音楽は、違う言葉で綴った4行詩の立体のリフレインに、シャッターを開いたままのカメラが映し出す複雑で繊細な、言葉にし難い流線形の時の残像になっていった。流れる複数の時がオルゴールを終わりに向かって進めながら、曲の真ん中に引き返して刻印にまた交差し、中心を離れ際に射抜く。それは何という金言なのだろう ――
人は
悲しいぐらい
忘れてゆく 生きもの
愛される喜びも
さみしい過去も
<Tomorrow Never Knows>の発売当初のオリジナル8センチシングルCDのジャケットには、人の生涯全体における究極の1枚の写真を表わすかのような黒い縁取りをあしらった、ベージュの土と大地から羽ばたく1羽の白い鳩が描かれている。白い鳩。旧約聖書の有名な「ノアの方舟」で、1度目は収まらぬ洪水で舞い降りる所がないまま方舟に帰還し、2度目にオリーブの実をくわえて戻ってきた、あの白い鳩である。オリーブの実、それは方舟の中の人々にとって、洪水が引いて大地がちょうどよい具合に乾き、木々が無事に再び果実を実らせた証し=「生きる知らせ」だった。
TOMORROW NEVER KNOWS=明日の事は誰にも分からない。当の明日自身でさえも。ビートルズの1966年の傑作『Revolver』最終曲から命名された、当時の英語の慣習上では反文法的表現であり、先生に0点をもらう言い回しだったこの警句は (TOMORROW=明日は意志を持っていないため、KNOWS=知るという意志行為はそもそも行えない)、1966年や1994年以上に現在において多くを語る時代の見えざるスローガン、生に向かう人々の銘として今もそこにある。<Tomorrow Never Knows>は意志を持って劇化されたKNOWSとして昨日の日本を駆け、自分と自身とを映すセピアの俯瞰、原景の生きる知らせとして今日の日本の街角を今も歩いている。すれ違う少年の姿を雑踏のオルゴールに探して。
<Hello Again -昔からある場所->の「自分」と「自身」は<Tomorrow Never Knows>のように互いに引き合う磁石の両極、自己を切断再生させる二律としてではなく、最初からオスメスのソケットで繋がれた着脱可能な内省の一体型ユニットとして姿を表わす。イントロの藤井謙二の笑わない実直なギターは、まるで計量カップで計ったかのように各トーンを同じ感度、同じアクセント、同じパーセントで弾き、逆らえぬ時間の正確無比な無慈悲の刻みを伝え、無慈悲の内側でしか生きられない人間の弱さと小ささを暗喩する。
<Tomorrow Never Knows>を作詞作曲して歌った桜井和寿と、<Hello Again -昔からある場所->を作詞作曲し<Tomorrow Never Knows><Hello Again>の両方をアレンジ・プロデュースした小林武史。彼等は日本の21世紀に届いて通じる意味と価値を、不変と残響を、言葉とメロディとコードで1994年と95年に発明した。人間と呼ばれる宇宙の些細な相対が抱える空漠を、これほどに美しく組織し、失敗を怖れず一歩も引かずに音楽化したJ-POPシングルは現在でもこの2曲だけである。涙っぽいお手軽な感傷と終始向き合い、正面で受け、組み、苦しみ、安価な涙っぽさの罠に今にも堕ちて行きそうになりながら、2曲は結局はそうならない。