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david bowie
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【この批評は、雑誌『ユリイカ』2016年4月デヴィッド・ボウイ特集号掲載原稿に、紙数の都合で収録されなかった未掲載パートを一部加えた拡張版です】

『地球上にダイアモンドより硬い物質があるって知ってた?』。絶対知らないよね、という意地悪い少年のような得意満面の勝ち顔をたたえて、96年のデヴィッド・ボウイは、薄いレモン色の長い脚をいたずらっぽく組み替えながら言葉を続けた。インタビューの中盤、彼の74年のアルバム『ダイアモンドの犬』について話していた時のことだ。『人工じゃなくて天然の物質でね。ロンズデーライトっていうやつ。ダイアモンドの2倍近く硬いらしいんだよ』。デヴィッド・ボウイの音楽は、彼がその時使った単語であるところの「物質」に似ていた。その表面に、まるでそれが一種の超鉱物であるかのようなひんやりとした手触り、固くて拒絶的で、ひときわ硬質で、我が道を行くといった希少物質としての特殊な香りと感触を放っていたのだ。『プラトンのイデアだよ』。彼の楽曲に聴き取れる物質性、鉱物的感触について尋ねると、彼は間を置かずに『彼 (プラトン) の定義と全く同じではないかもしれないけれど、感覚としては近いよ。いつでも、僕は自分のサウンドを、極力可視化させて捉えたいんだ』。

錬金術=アルケミー。ウィキペディアによると、その語義は「最も狭義には、化学的手段を用いて卑金属から貴金属 (特に金) を精錬しようとする試みのこと。 広義では、金属に限らず様々な物質や、人間の肉体や魂をも対象として、それらをより完全な存在に錬成する試みを指す」。ボウイと彼の音楽は、この錬金術の大きな2つの意味合いを、どちらも同程度に密かに自問、自負していたのではないか。日常の機微や個人的出来事、読んだ本、観た映画、行った美術館、会った人、聴いた音楽…。種々雑多な、1つ1つは小さな、ありふれた行動の集積と分別と再配置の山から「候補となりうる物質」を探し出し、ボウイ自身の内側にある思考体系や感性の精製プロセスにかけて「貴金属」を取り出すこと。彼がキャリアの最高潮で行ったことは、そういった一連のポップ芸術上の鍛造行為として見ることが出来る。デヴィッド・ボウイは、つまり錬金術師=アルケミストだった。以下の批評では、ポップの分野におけるボウイの錬金術の一端を最も効果的に明らかにしてくれると思われる曲を3曲選び、従来とは異なった角度から異なるフラッシュをもう一度焚くことによって、錬金術師としてのデヴィッド・ボウイがこの世に初めて、そして永久に出現させた黄金を、束の間再探訪したい。

<ASHES TO ASHES>(『SCARY MONSTERS』より、1980年)

66年のソロデビュー以降最初のヒットである69年の<Space Oddity>(邦題<スペース・オディティ>=宇宙の変わり者) について再言及したこの曲は、曲中の主人公に向けて「ぼくたちは / トム少佐は / ジャンキーだったと / 今なら知っている」という10年越しの暴露によって「自分の過去を表現創作の同じ土俵の上で、鮮やかに斬ってみせた」という言われ方をすることが多い。しかしそれ以上に語られているのは「10年はいかに個人を変えるか、あるいはいかに変えないのか」である。「人間というものに課せられる時間の区切り」が、非常に手の込んだ言葉とサウンドで音楽化されている。ジャンキー=強度のドラッグ中毒者。そこから吐き出される真相は「トム少佐はドラッグによって宇宙に行った」。宇宙への任務、したがってそれは「彼の中毒時の真実」であり「人々のしらふの架空」である。「覚えているかな / あの男のことを / 初期の歌に / 出てきた男さ」。<Ashes to Ashes>は、こんな具合に始まる。それに先立つ32秒間の極めてSF的、エイリアン的なイントロは、幼少期のボウイのアイドルでもあったダニー・ケイの1952年の佳曲<Inchworm>(=しゃくとり虫) の文字通り上下する導入部のメロディを、テンポを変えて印象的になぞり、聴き手の聴覚域を無重力に漂っていく。その<Inchworm>は、同年イギリスでヒットした児童向けのアンデルセン童話映画『ハンス・クリスチャン・アンデルセン』の劇中歌として広く知られており、「2足す2は、よん / 4足す4は、はち / 8足す8は、じゅうろく」という女児コーラスで始まる典型的な数え歌、教育曲ではあるものの、それを歌うダニー・ケイの、のどに真綿を含んだ声と耐え難いほどにゆっくりとした昇降を繰り返すメロディには、当時の一般的なポピュラー・ソングには見られない、不思議な光彩が聴こえる。「インチワーム、しゃくとり虫 / まるでマリーゴールドを / 測ってるみたいだ」。

<Ashes to Ashes>では、測られるのはマリーゴールドの花びらの大きさではなく、自分の脳波、血圧、居場所である。「灰は灰に / 憂鬱なら御機嫌に」。その文句は欧米の葬儀慣習上ごく一般的な埋葬時の司祭の言葉「灰は灰に、土は土に、塵は塵に」をそっと横切る。その埋葬の言葉自体が、旧約聖書『創世記』からの転用でもあり、脳波と血圧はというとゼロ、居場所は土の中である。<Ashes to Ashes>は過去の自身への特異なる葬送曲として形を成し、その形は、ポップ・ミュージックの領域の内側でほとんど誰も聴いたことがないような、めくるめく美的な多層を垣間見せる。月面をぽんぽん跳ねるアポロ宇宙飛行士の動きを思わせるジョージ・マレイのポンピング・ベース、原始的すぎて逆に未来のSF効果音として聴こえるカーロス・アロマーのジャマイカン・スカ・ギター、フランジャーを通して空間に歪ませたロイ・ビタンのワーリッツァー・パイプ・オルガンとアンディ・クラークの多重シンセサイザーに聴ける「宇宙空間の琴」、ほぼ1行ごとに声のトーンと印象を変えるボウイ自身のテクニカルな幻惑歌唱。それらすべてが一度に、あるいはバラバラに左右のチャンネルに散らばり、そしてまた全部がいっぺんに一緒に聴こえ、聴き手は何が何だか分からない。3回聴いても、30回聴いてもそうなのだ。

その幻惑は聴覚のみならず、視覚面でも際立っている。MTVの誕生に1年先立つ1980年に撮影された<Ashes to Ashes>のPVには、『SCARY MONSTERS』のアートワーク全篇を彩っていたボウイ扮する蒼白いピエロがそのまま登場し、その存在感が観る者を圧倒する。70年代に人気を博したパントマイマーで、ボウイがかつて直接レッスンを受けたこともあるリンゼイ・ケンプを思わせる、両腕で柔らかい弧を作り、全身の動きの末尾をかすかに引きずって余韻を留めるボウイのマイムは、ケンプ以上の概念も伝えている。同時期のアメリカのゲイ・マイム・アーティストで映画製作者でもあったケネス・アンガーの「実験的神秘主義」がそれだ。彼の主演短編映画『ラビッツ・ムーン』(うさぎの月) は1950年に作られたが1972年まで完成せず、その完成版をさらに編集し直した6分32秒の最終版が、1979年に発表された。アステカ文明の愛玩神話で、われわれ日本人には馴染みの深い「月にはうさぎがいる」伝説に魅せられた青いピエロが、森の木々の根元からジャンプして、月を捕まえようとするのだ。その最終版が語るアート言語 (意気地のないダメな自分を一掃するために、月を捕まえるという極端を切望する) と<Ashes to Ashes>のPV言語 (明日の自分への権利と正当性のために、自身の過去の不首尾を総括する) が同じなのである。

ボウイは『ラビッツ・ムーン』を観ていた。PVとの連関を尋ねると『そう! よく分かったねえ。ケネス・アンガーの事は、最初ミック (・ジャガー) に教えてもらった。ミックやジャン・コクトーも、ケネスと親交があったんだよ』。ケネス・ピエロの渾身と熱望のジャンプはすべて月に届かず、そこへもう1人のピエロである、よりスマートでハンサムなイケてる道化師 (=ハーレクイン=フランス版のピエロ ) が現れて絶世の美女を登場させ、彼女に一瞬で心奪われそうになってしまったケネス・ピエロの突然の熱情を無情に火消しするように、ハーレクインは青い満月をあっという間に皆既月食に変えてしまい、夢破れた孤独なケネスのピエロは、その月食が強制する暗闇に、最後は飲み込まれて消える。あたかも自分の最愛の分身、最上の良心に惜別するように、あたかも灰は灰に、塵は塵に、すべては再び戻っていくのだと言わんばかりに。

<Ashes to Ashes>は、エンディングの最後まで、謎かけに満ちている。錬金術師の呪文のように繰り返される「ママは言ってた / 立派になりたいなら / トム少佐なんかに / 構ってちゃダメだよって」。事を成すつもりならば、まず自身を審判せよ ――『これは言葉の内容とは裏腹に、イギリスで子供から大人まで、みんな知ってる伝承童謡集のナーサリー・ライム調のメロディなんだ。いわば一種のショック戦術だね』。ナーサリー・ライム=日本ではマザー・グースと言ったほうが、よりピンとくるかもしれない。<きらきら星>(=トゥインクル・トゥインクル・リトル・スター) や<メリーさんの羊>が最も有名だろうか。その童謡の律動と暗喩を歌詞とメロディの両面に盛り込み、曲の終わりに、フェイドしながらボウイのピエロは、キャリアを通じて様々に姿形を変えながらも長く被ってきた創作上のペルソナ (=仮面、外的人格) を、自らの手で外す。仮面を被って人格をまとえば何だって出来た、何だって真っ先に実際にやってみせたボウイの70年代への辞世の句、80年代への序文としての<Ashes to Ashes>は、以降のどの地点にも尊大に存在し続ける難攻不落の「現在」への生ける注釈としても読みかえ可能な、「錬金術の国からの召喚状」として鳴り続ける。時代の被告人と証人、双方への。

<LIFE ON MARS>(『HUNKY DORY』より、1971年)

フレンチ・ポップの当時の第一人者クロード・フランソワの1967年のヒット曲<Comme d'Habitude>(「いつも通りに、いつものように」の意、当時の邦題は<無造作紳士>[笑] ) を気に入っていたボウイは、フランソワの出版サイドの求めに応じて英詞を付けた。しかし、原曲の歌詞が扱っていた「冷えてしまった男女関係の虚ろ」をまったくの自己憐憫、自己否定にまで極端化させた (ボウイらしい?) 歌詞だったため、却下されてしまう。<Even A Fool Learns to Love>(=どんなに馬鹿でも自分の恋愛からは学ぶ) と題されたその英語版のデモ録音は、フランソワのTV音声にボウイの無防備な歌唱を重ねた原始的、素人的なもので、再度書き直して正式録音のための権利を取ろうかと考えていた矢先に、彼はアメリカの人気歌手ポール・アンカに一足先を越されたことを知る。南仏にバカンスで来ていたアンカは、TVでフランソワの<Comme d'Habitude>を聴いて感動し、歌詞の内容を調べた上で、自分の当初の感動の理由に従って、原曲とは全く異なる回顧的抱擁と自己称揚についての英詞を付け、米の流行歌領域の重鎮フランク・シナトラに提供したのだった。1969年、ご存知、大スタンダード曲<My Way>の誕生である。

タッチの差で英語版<Comme d'Habitude>の権利取得を逃したボウイは、その2年後に個人的なリベンジを果たす。<My Way>のような流行歌領域ではなく、若い世代の苦悩と感受の領域においてだ。そうして出来上がるこの全英3位曲<Life On Mars>に着手するおよそ1年前に、ボウイは1963年のベストセラー、ジョン・レチーの男娼小説『シティ・オヴ・ナイト』(邦訳『夜の都会』、1965年、講談社、邦訳刊行当時の帯文句=腰巻は吉行淳之介が寄せていた) を読んで、その孤独でダークな男娼たちの世界の描写に深く惹かれていた。『夜の都会』では、主人公である男娼たちを性的嗜好の例証として描かず、「正常な世界が正常だと標榜する正常な異性愛」が自分たちに強制する精神的・社会的抑圧の犠牲者たちとして活写していた。若き男娼主人公の「ぼく」が言う。『ぼくにはその「愛」という言葉が、単に言葉の上だけでないもっと確かなものとして存在するとしても、そうなんです、僕にはそれを本当に信じることが出来ないんです。それが存在すると僕に感じられるためには、この冷酷な世の中全体が変わらなければならないでしょう』『僕は非常に若い時から、この世の中を憎むようになり出したんです。全てを疑うように ―― ことに「愛」というものを疑うようになり、自分は強くなろうと、決して人を愛すまいと思ったんです』。

彼のこの表明、ああしろ、こうするな、これはこうだと決まっているのだから、という極圧の、過剰の、問答無用の社会の抑圧をボウイは、ジョン・レチーの男娼世界からボウイ自身のさまよえる10代男女の設定へと変え、現代のマテリアル・ワールドとマス・メディアとが放つ狡猾で巨大な洗脳的誘惑に馴染めずに疲れていく、1つの若い世代全体の影を浮き彫りにしてみせる。<Life On Mars>は<Comme d'Habitude>と<My Way>の主要メロディとコード進行の半分をなぞって、そこから未知の可能性への象徴=火星へと抜け出す。その象徴がわざわざ火星にまで飛ばなくてはならないのは、若い世代にとって、かつて若い世代だった記憶のある世代にとって、この地球における大小の既知がしばしば醜悪で、心の底から本気で付き合うにはあまりに欺瞞と矛盾に満ちているからである。

「ねずみみたいな髪の / その少女にとって / それはお決まりの / 超つまらない / 集まりだった」。ボウイはその「超つまらない」(=英詞では god-awful ) に注意を引くためのアクセントを全く置かず、続く他の言葉と同列に、同じ圧力で歌い、聴く者には、そのあっさり感が逆説的に残す「無力」のほうが、結果として強く伝わる。少女の毎日を支配し、規定してもいる「超つまらない」が「いかに、どれほど、本当に切実に超つまらないものなのか」を想像、接近、理解させる。聴き手はいつの間にか「いつもより真剣に」この曲の内部に誘導される。お決まりの超つまらない集まりのようにお決まりの不平や不満をお決まりに叫んで事足りる、典型的であるがゆえに結局は当人に何かをもたらすということのない自己言及的、自己閉鎖的な糾弾、それが一見<Life On Mars>の全篇に溢れているように見えて、実は実際には1単語も出てこない要素である。

<Life On Mars>の彼や彼女たちは、自分たちの思い描く事は何一つ実現しないとのみ約束してくる世界に生きている。逃げ出したくとも、他には行くところがないのだ。「ママは / いけません / と絶叫し / パパは / 行け / と言う」。男娼「ぼく」の「ああしろ、こうするな」がこだまする。ボウイの音楽は<My Way>の周りを出入りしながら、やがてラフマニノフの組曲2番3曲『ロマンス』を思わせる転調旋律を控えめに散りばめたリック・ウェイクマンのピアノを乗せて欺瞞と矛盾の地上を飛び出し、蓄積していくばかりの不平と不満で望まぬ皮肉屋・無感動屋にならざるを得なかった、あのねずみの髪の少女の投げやりと不本意のすべてを、たったの一言に叩き込んで抱きしめる ―― Is There Life on Mars? (火星に生命ってある? 火星に人生ってある?=火星でなら、今度はちゃんと生きていける?)。伝えられた無力は、伝わらなかった糾弾よりも、人を空虚から遠ざける。

<”HEROES”>(『”HEROES”』より、1977年)

この有名曲は、少なくとも後年の2つの大きな芸術創作に影響を与えている。1つは同様に有名なヴィム・ヴェンダーズ映画『ベルリン・天使の詩』(1987年) 『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!』(1993年) で、ヴェンダーズは英人気ロック・バンド、ザ・キュアの1982年曲<Siamese Twins>(=シャム双生児、=壁によって東西の "頭" が2つになったベルリン自体を指す言葉としても欧米で定着していた) 中の歌詞から堕天使の着想を、俯瞰の視点で歌われるボウイの<”Heroes”>からはその天使の目線を取り入れた。もう1つはヴェンダーズより馴染みは薄いながら、発表当初から独・英・米で絶賛され大変評価の高かった、当時の西ベルリン在住のドイツ人作家ペーター・シュナイダーの1982年小説『ウォール・ジャンパー』(邦訳『壁を跳ぶ男』、1984年、白水社) だ。シュナイダー自身である主人公が、ベルリンの壁を飛び越える東西ドイツの男たちの話を求めて壁の東西を行き来するという、ちょっと有り得ない、有りそうもない物語設定である。しかし実は、主人公が壁を行き来するという点以外は、この小説に登場する話の全てが、実際にあった事実を元に肉付けされたものだった。作者シュナイダーは<”Heroes”>に強烈な感銘を受け、その感銘を何らかの形で反映させた小説を書く希望を持っていたところ、ベルリンの新聞の小さな埋め草記事に、その希望の実現の可能性を偶然見つけ、その日から壁にまつわる短い切り抜きを集め始めたのだった。

西ベルリンに部外者、異邦人として居住していたボウイは、東西ベルリンの境界検問所チェックポイント・チャーリーを旅行者の扱いで何度も車で通り抜け、東ベルリンの荒涼たる陰気と疲弊、西ベルリンの殺人的活気とその活気の背後に厳然と横たわっている退廃を、五感の全体で感じ取っていた。そして<”Heroes”>は、ベルリンの壁から約450mしか離れていない、徒歩5-6分の距離にある西ベルリンの高層のハンザ・スタジオで録音された。77年当時の世界を強力に支配していた2つの社会制度、資本主義と共産主義を目の前でまっぷたつに分割するその壁の、一番近くのベンチに仲良く座って談笑する若い男女。ボウイは『彼らの姿を以前にも見かけてた。つまり彼らは偶然じゃなく、わざわざ何度も (壁の周囲に多数埋め込まれていた) 地雷のすぐそばで語り合っていたんだ』。その2人の状況と光景が、彼にはまるで、男女の素晴らしきアーティスト2名による命懸けの共同作品のように見えたという。『月並みな表現だけれど、僕は彼らに感化された。そしてそのあとまっすぐに<”Heroes”>に飛び込んでいった。「自分がやらなきゃ、一体誰がやるんだい!」ってね』。

その通りだった。数あるベルリン・ソング、ベルリンの壁ソングのうち最初を、何もない地平からの開拓を、ボウイが、<”Heroes”>が切り開いた (時系列的にはルー・リードの73年のアルバム『ベルリン』があるが、ルーは一度もベルリンに行かずにそれを作った。これはこれで、またすごい事実だ)。そしてその最初の<”Heroes”>が、セックス・ピストルズのラストシングル<Holidays in the Sun>(邦題<さらばベルリンの陽>、<”Heroes”>の3週間後に発売された) と並んで、現在でも最高の壁ソングである。なぜならその<”Heroes”>は、曲の表面上の主題であるところの「既存の英雄観やヒーロー志向」を、自分自身で否定しているからである。「ぼくは / キングに / きみは / クイーンになる」「僕たちを / 繋ぎ止めるものは / 何もないけれど / 僕たちは / 時を / 盗むことなら / 出来る」。「時を盗む」とはどういうことなのか ―― 世間の大宣伝、国家の大宣伝の目眩ましに晒される自分を独力で自分自身から切り離し、新たに保持しようとする主体的な思考と姿勢、態度、意志が、完全無欠の大宣伝の群れから、時を盗ませる。その「時」を歴史の客体ではなく、主体として個々人の内に刻ませる。今日の人を、明日の人間として生きさせるのだ。そこに壁があろうと、なかろうと。

先のボウイの意気込みをそのまま反映するように、曲の最深部から終始まっすぐに鳴り続けるロバート・フリップのAコードのギターのサステイン長音=ドローン=オスティナート。それは際限なき前方、彼方を柔らかく、鋭く照らし出す不滅のレーザーの光として聴こえ続ける。フリップのその一音には数十年経っても1ミリも変わることのない不変が、脱出と解放が、自由が、未来永劫が聴こえるのだ。We Can Be Heroes ―― そのヒーローは「このヒーロー」や「あのヒーロー」ではない。私やあなたの周囲に、その身近に、すぐ隣にいる具体的な誰かである。あるいは自分の中の良き部分、人には見せないままながらも、機会あらばこっそり褒めてやりたい内側の自分の何かである。この曲の題名が引用符の ”” で囲まれている理由はそこにある。ヒーローはヒーローじゃない ―― ボウイ自身が雷撃の如く感化され、この曲に登場させた壁のすぐそばのあの男女のように、ヒーローじゃないものこそヒーローである ―― 3分50秒を過ぎたところで、その雷撃のボウイが叫ぶ ―― 『We Can Be Usssss ! 』(ぼくらは / "ぼくたち" に / なれるはずさ!)。

<”Heroes”>の全篇が、日本の中学校レベルに相当する易しい英単語のみで書かれていた意図を、ここに至って聴く者は理解する。大人から子供まで、誰もがこの曲を歌える。誰もがこの曲に参加出来る。誰もが、この曲の一員と成り得る。その理解に熱く賛同し、その賛同を自ら守護するように直後に右チャンネルに突然、ここしかないというタイミングで現れる、えも言われぬタンバリンの音色が<”Heroes”>の残りの2分を、終わらないエンディングへと率いていく。耳にするものは「たった今、はっきりと気づいた」という決壊の増幅である。一介のポップソングの中で、これほどに美しく響き渡る「ただのタンバリン」が他にあっただろうか。これと同等に清逸で威風堂々としたタンバリンが ―― 意思と自律と友好と連帯を同時に希求するタンバリン、それらがやがて直面することになる現実の困難を、ゆえに自らすすんで理解しようともするタンバリンが ―― あっただろうか ―― <”Heroes”>だけが、それを奏でた。1977年ベルリンのデヴィッド・ボウイだけが、それを創った。どこまでも擦り切れず、永久に軌道を外れないメビウスの輪のように、"ぼくたち" の眼前に威風堂々と出現した<”Heroes”>、それ自身こそがヒーローだった。

<Ashes to Ashes>に付けられた元々の、最初の題名は<People Are Turning to Gold>(=人々は黄金に変わる) だった。それは1曲に与えられたタイトルではなく、ダイアモンドのようにクールで硬く、生まれたばかりの黄金のように熱い、デヴィッド・ボウイという審美的錬金術師それ自体を表す墓碑銘だったのではと思う。世にも珍しいそのアルケミストは、今どこにいるのだろう。英語圏では追悼の言葉に「R.I.P.」(REST IN PEACE=安らかに眠れ) が伝統的に使われるが、近年この「R.I.P.」は外界の著しい混迷に対応するべく、自分自身のヴァージョンアップを始めた ―― 新しい「R.I.P.」(REST IN POWER) =力の中に眠れ。これ、どこかの錬金術師にぴったりじゃないか。

中野利樹 (TOSH NAKANO)🍀










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