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ajico
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AJICOの『深緑』では、あらゆるサウンドが発された途端にくっきりとフォーカスしながら即座に焦点を結ぶ。曲はそれぞれが、生きて息をしている固有の世界から放たれた最終声明であり、その言葉に二言はない。各々の声明は同じ1つのことを言っていて、それは「そっちじゃない。こっちなんだ」ということだ。サウンドは神経過敏なまでに研ぎ澄まされており、その刃は聴いているこちらの側に向けられているのと同様、彼ら自身にも向いている。「生きてくのさ / 素直な心で」とAJICOは歌うが、その神経過敏なサウンドを背景にすると、その文句は現在ぼくらが住んでいるこの世界での事という以上に彼らが創り出している新しい別の世界での話であり、聴き進むうちにぼくらは選択を迫られる: どちらの世界に自分は住みたいのかをだ。

『深緑』のサウンドの刃はそれほどに強靭である。ヴォーカルのUAが「LAKE」という言葉を吐き出す時、それは音楽上の歌詞である以上に呪文の一形態であり、ぼくらは確かに「湖」を想像はするものの、そこに人の姿はない。それは琵琶湖や摩周湖、ミシガン湖とかではない (「ネス湖」は別かもしれないが)。そこにあるのは絵ハガキに描かれることのない湖である。同じことがアルバム全般に当てはまる。固有名詞を持たない事物や事象が現実の事物や事象を圧倒し、それらに取って代わる。そしてその過程で、既視感を伴った未知からの声を聞く。いわば、サウンドのデジャヴとでも言うべきものだ。

『深緑』のそれぞれの新世界はそのすべての声、すべての音がクリアに響き渡るのに反して、それとは釣り合わない、もうろうとしたヴィジョンと不明瞭な輪郭とを描いている。すべてが聴こえるけれども見えているものは全てではない、という矛盾のトラップがあるのだ。そのトラップがこの鋼の音楽の生命線である。そこに生まれる新しい波動は "そっちの世界はつまらないだろ" と伝えてはいるものの、口に出してハッキリそう言っているわけではない。彼らは声高に糾弾する代わりに、自分たちの見つけたその新世界の美しさと価値にひたすら磨きをかけている。その新世界に没入している。『深緑』のサウンドの刃は、そうしたゆるぎない確信に裏打ちされている刃である。

AJICOは元ブランキー・ジェット・シティの浅井健一とUAとのコラボから派生したユニットであるが、その音楽観と指向性は過去の彼らの音楽に見出せるというより、かつての時代の種々雑多な音楽から見出せる場合が多い。ある時はダークであり、ある時はきらびやかな、いずれも容易に物事に動じないギター・サウンドとそれを取り巻く諸楽器のミクスチャーは、60年代後期サンフランシスコ・サウンドの陰鬱なる豪華絢爛さを思い起こさせる。モビー・グレイプやシャーラタンズ、ジェファーソン・エアプレインを直接に思わせるわけではなく、あくまでぼんやりとしたものだ。『深緑』上ではそのぼんやり感は、この世界の名残りとして姿を現わす。どんなに古いタペストリーでも、それが十分に美しければ、次の世界に持ち込んでも誰も文句は言わない。

その新しい世界は、こちらの世界のように何もかもが不自由なく完備され、きちんと整っているわけではなく、人が住むのに適しているのかどうかハッキリしない。はっきりしているのは、その世界がそれでもなお魅力的に思えるということだ。自分はいったいどちらの世界を選ぶのだろう。答えはおそらく、最終曲<カゲロウソング>の中にある。

メロディーの出だしはカーペンターズ(CARPENTERS) の<I WON'T LAST A DAY WITHOUT YOU>(「 愛は夢の中で」) の歌い出しに似ており、背景には70年代初めの「ケンとメリーのスカイライン」のCMが見える。この世界の名残りの最終版である。「かげろうを / 見つけたよ」。かげろう ―― それがこのアルバムを貫く、あのもうろうとしたヴィジョンの種明かしのひとつであり、2つの世界を何とかして結び付けている重要なエレメントである。この曲は、それまで曲ごとに宣言されてきた『深緑』の声明が帰っていく場所として響きわたる。

AJICOのまとっている深緑色は、この世界が臆面もなく標榜する健全な緑色とは似て非なる色であり、それはよりディープな、よりダークなエメラルドを着色するものであるかもしれない。2コーラスを過ぎたあと、AJICOの4人はもう1度最後の新世界を奏でるが、その最終サウンドがもたらす世界の日当たりの心地良さと美しい光景とは、これまでのどんな日本のロックの風景にも劣らないものだ。彼らが彼ら自身の創り出した深緑色のかげろうの中に舞い戻っていくように、我々もまた、その新世界の陽の当たる最後の場所へと吸い込まれそうになる。そのまま戻って来れなくても構わないという思いになる。

<カゲロウソング>がかげろうのようにフェイドしていくのを耳にしながら、自分は一体どっちの世界を選んだのだろう、と聴く者は自問する。未開の新世界は、本当はその新世界自体の内側にあるわけではない。まだ見ぬその未知の大地は、つまらなかったり面白かったりを繰り返すこの現世界を生きるぼくらの記憶のどこかに、その記憶の中の、きちんとは整理されていないままの場所と領域に ―― その記憶の荒野の只中にある。『深緑』の鋼の新世界音楽は、その記憶の荒地からの遥かなるサウンドトラックであり、それは今もおぼろげなまま、この現世界で鳴り続ける。

中野利樹 (TOSH NAKANO)♠

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